プロフィールトップにもどる

関はじめ「空挺レンジャー課程の思い出」を語る(2)

関はじめ は防衛庁文官のなかで唯一空挺レンジャー課程の終了経験者です。この記事は陸上自衛隊 空挺団関係者の機関紙 "落下傘" に投稿し掲載されたものです。

 (前号に戻る)  (つづきを読む)

空挺レンジャー課程の思い出 (2)

【教官の教えは守るべきこと】

その1

 鋸山でリペリングの訓練をしていた時のこと、教官から手を腰の横から前に出しては絶対にいけないと教えられました。降りてみると、簡単にオーバー・ハングも超えられるし、スピ−ドもあまり出ない。そこでスピードを早めてみようと手を前に出してみたら、スーッと落ち始め、コントロールが利かなくなりました。江藤教官が手を後ろに回せと大声で叫んでいますが、回せません。困ったと思ったらスピードが弱まり、無事着地できました。皮の厚い手袋をしており、それがカラビナとロープの間に挟まって、摩擦でスピ−ドが弱まったのです。厚い手袋は擦り切れでいました。手袋が挟まらなかったら、或いは軍手だったら、少なくとも大怪我はしていたと思います。教官からは怒鳴られただけで済みました。ご心配をかけました。
 真っ暗な夜間に行動中、急な谷に落ちたこともありました。岩の出っ張りにひっかかり助かり、すぐ這い上がることが出来ました。後ろの隊員から、スーッといなくなったのでどうしたのかと思ったと言われました。
 江藤教官は、何でも軽くやってしまうし、他方厳しくて妥協がなく、皆から尊敬されかつ恐れられていました。あの人は寒がりなんだよ、というヒソヒソ話もありました。こんな人がいる間は、空挺は強いだろうと思ったものです。

その2

 野外訓練も終了に近い頃でした。班に別れ、前方の山へ競争で登る訓練がありました。班長が「よし、まっすぐ登ろう」と言い、皆「そうだ!」と沸き立ちました。私は、部隊の座学で「山に登る時は、真直ぐ登ってはいけない。登り易いところを探しながら、山腹を周って登るのだ。」と教えられたことを思い出しました。しかし、班の皆は一つになって燃えています。水をさすのもよくないと思い、私は異を唱えませんでした。
 ところが、登りだすと途端に越えられない岩あり、通り抜けられない茂みありで、容易には登れません。回り道をした他の班が上の方に進んでいるのが見えます。これでは到底一番にはなれないな、と思いましたが、結局、山頂まで登れなかったのではなかったかと思います。座学も馬鹿にしてはいけません。

その3

 訓練の最終日、町に凱旋です。町の人々も出迎えてくれるというので、前夜は焚き火が許され休息がとれました。その日はかなりの雨で、靴がびしょ濡れになっていました。靴を乾かす時は、火の傍においてはいけないと教えられていました。しかし、火から遠くにおいても乾燥しそうもありません。大したことはないだろうと、乾くことを期待して、火の近くに置いたまま寝てしまいました。起きてみると靴は縮み、変形しています。まともに履けません。ようやく足の一部を入れ、靴紐を引っ掛けて歩きました。到底、颯爽とした凱旋行軍の一員とはなれません。後に司令部から来た人から「関レンジャーは、足を引きずって行軍していた。」と言われ悔しい思いをしました。

その4

 課程が終了し、帰途、目に付くものは食堂の広告、看板ばかりです。私は学生時代合気道部にいましたが、合宿では、稽古はしんどくても、食べる、寝るは充分できます。終わって帰途目に付くのは、食堂の看板と、それから年齢に関係なく女性でした。ところがレンジャーの後では女性は全く目に入りませんでした。
 私は当時まだ親元におり、帰宅しすき焼きを腹一杯食べ、その後シュウクリームを50個ぐらい食べました。一眠りしたら気持が悪くなり、吐いてしまいました。教官からすぐに沢山食べてはいけないと注意をされていたことを思い出しました。
 あのままだったら太ったかもしれません。直後に40年度遠洋航海に便乗のため、調査学校に英語研修で入校しました。朝、校庭を走ったのでブヨブヨにならずに済みました。

(前号に戻る)  (つづきを読む)
このページのトップにもどる

ウェブサイト利用規定(必ずお読み下さい)
Copyright Toranomon Strategic Think Tank.All Rights Reserved