
■虎ノ門戦略研究所
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1999年12月
覚醒剤に関する犯人隠匿が問題とされている某県警本部で、当時の本部長が組織防衛のためだったと述べたとの報道があった。国のレベルでもこのような考えはあるのであろうか。
30年ぐらい前か防衛庁在職中、某係長が「…組織防衛が必要ですからね」というのを聞いたのが、私がこの言葉を耳にした初めであった。仕事には関係ない会話の中であり、何に関してかは憶えていない。初めて聞いた言葉であり、フレッシュな感じと共に違和感を感じたことを憶えている。
防衛に対していろいろなことが言われていた頃である。憲法の解釈で、自衛隊は違憲というのが学会の多数説であり、政府の解釈は合憲である。私自身は自衛隊は合憲であり、国家にとって大切と思っているのであるから、反対の者をいちいち相手にする必要なしという気が強かった。しかしフレッシュな感じというのは、そんな頃に組織防衛という言葉に何となく説得力を感じたものと思う。
また、日本人には多かれ少なかれ村意識があるといわれる。外国でもおなじような意識はあるのであろうが、同じ村の者は無条件で受け入れるが、外の村の者は受け入れない。こういう感覚も組織防衛ということを受け入れ易くしているかもしれない。戦後、会社人間ということがいわれ、家族も社会も頭に無く、会社のことしか考えない人々のことが話題になった。人間は帰属意識が大切であり、それが無くなると心理的に不安定となるそうであるが、本来の出身地から切り離され、経済発展の過程で村への帰属が会社への帰属に変わったのではないかという気がする。
余談となるが、村意識は武士の間では、明治維新までは藩意識であった。明治維新の時に、反幕府で急進的な人達が暴発したりした。今日で言えば過激派といえよう。武力闘争で敗れ、逃げる間お互いの間に不信感が生まれ、悲惨なこともおきた。しかし、同じ藩の人々の間では信頼は変わらなかったという。
違和感というのは、国家の一機関において組織防衛というのは、おかしい、そぐわないということであった。
民間の組織、例えば、営利活動を行っている企業には組織防衛があるのであろうか。企業の発展、拡大の為の活動は、企業としての当然の活動であって、組織防衛などということは出てこない。
それが考えられるのは、企業に何か問題がおきた時であろう。そのような場面では、担当者は、企業の安全を考え、自分個人の利益を求める行動ではないから、何をしようと罪悪感はないかもしれない。しかしそれが合法活動の範囲を越えると、犯罪となってしまう。金融機関の不祥事件で現在裁かれているものの中には、犯罪となるとは思わずに、その金融機関を守る為にすなわち組織防衛の為に一生懸命努力しているつもりで、結果として犯罪行為にまで踏み込んでいたという場合も有ろう。非合法は許されないが、民間の企業なら法の許す範囲内で組織防衛が必要な場合は多いのかもしれない。
では、国家の機関にとって組織防衛は、必要或いは許されるのであろうか。国の機関には、存続の危機というものは無い。国の機関の統廃合はあるが、それは統廃合の必要が国家として考えられるから行われるのである。それに反対する機関の者は、そのエゴに過ぎないのであって、組織防衛ではない。
不祥事が続くとその機関の必要や存続が問題となることも有るが、それは不祥事にうんざりした人々による議論の混乱であって、必要と運用の誤りとの混同である。形式的に言えば、必要のない機関を存続させているような無駄使いは、本来国家に許されていない。
民間の個々の組織の存続、消滅は、その組織の努力によるものであり、民間の一組織が国の立場から必要とされることはあまり無い。組織防衛という場合に、国家の機関と民間の組織のこの違いを考える必要がまずあろう。
国の機関は、そもそも国家の為すなわち公の仕事をしている。本来、組織防衛などという感覚は有り得ない筈である。その機関でおかしなことが有れば正されるべきであるが、組織防衛からということは考えられてはならない筈である。
公務員となり強く印象的に残った言葉にすじを通すということがある。法律に基づき公の仕事をしているのであるから、仕事も成就すればよいというのではなく、如何に成就されたかも問題となるということであろう。これも、組織防衛とは反対の概念であろう。
昨年、一昨年と残念なことに多くの不祥事件が報道された。我々OBは、報道によるしか事件の内容を知る由もないが、報道には随分首をかしげざるを得ないものもあった。しかし、公務員の不祥事件の中で、個人の不祥事は不祥事が起こること自体組織の緩みであり、許されることではないが、一応個人の問題とも言える。しかし、大なり少なりの組織が組織的に不祥事に関与したというのは、更に大きな問題である。その中の各個人は、恐らく不祥事を行っているとの意識は無かったのではなかろうか。そしてその意識の背景に、組織防衛というような感覚があるとすれば、問題である。それではそれは私企業と変らないこととなるではないか。
今日でもまだ日本では公務員は尊敬される職業であろう。それには歴史的背景もあろう。しかし国家は、敬意を払われているのであろうか。戦後国家は否定さるべきという風潮が強かった。今日でも、国家ではなく社会と言ってみたり、グローバルということで国家を否定する人々がある。しかし国家は、国民の安全と繁栄を守る唯一つのものではないか。国家を否定する風潮が公務員まで浸透し、公務員が尊敬されるのはその権限にあるとか、その扱う金額が大きいからであると思うようになったら、憲法に全体の奉仕者とされている公務員はどうなるのであろうか。
勿論、組織に対する忠誠は大切なことである。私はそれを否定するものではない。構成員の忠誠心が無くなった組織は、崩壊したも同然であろう。忠誠心の為に組識を大切にする気持ちが生ずるのは当たり前である。しかし、それが組識防衛を中心に考えるようになると、公務員としてはおかしいのではないかと言いたいのである。
私は自分の公務員としてののプライドは、公の為に働いているところにあったと思っている。仮に公務員に組織防衛という感覚が蔓延しているとすれば、国家にとって大きな問題である。職場を去ったOBとして新聞記事からふと思ったことを書いてみた。杞憂であれば、日本は安泰であろう。 |
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