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2000年6月
円/国際化論の見落としているもの

●はじめに 〜円を取り巻く国際化論議

 昨年初頭、わが通貨当局は「目標相場圏を持った米ドル・ユーロ・円三極基軸通貨構想」を発表したが、欧州中央銀行ドイゼンベルグ総裁からは「欧州中銀は目標圏を持たないし、実行は不可能だ」と言われ、またルービン米前財務長官やグリーンスパンFBR議長も反対の姿勢を表明したという。
 国際通貨・金融問題は難しく一般の理解し難いところがあるが、それでも円の国際化、アジア経済圏と円を基軸通貨に、円圏の創設といった話題が時々マスコミを賑わしている。古くからあったこれらの話題が、経済の低迷と円の信用度が低下している(円安、円高の問題ではない)今日改めてホットな問題とされるのは、一つはアジア経済危機の反省、一つは昨年欧州で行われた通貨統合、ユーロの誕生であろう。更にはこのままでは、円は国際金融社会で埋没してしまうという懸念もあろう。
 しかし私には、日本での円をめぐる国際通貨の議論には、その根底にある大切なことが忘れられているように思える。
 アジア経済危機の原因は、危機の最中には日本でもアジア独特のクローニー・キャピタリズムにあるとか、開発独裁にあるとか言われた。しかしアジア経済危機は実体経済が悪くなかったのに発生した。その原因は色々論じられているが、従来の経常収支危機による中南米型のものとは異なる新しいものであった。基本的には、アジア各国通貨のドル・ペッグと米国内での余剰資金の流出入による資本収支危機であるとされている。(原田和明、宿輪純一「マネークライシス・エコノミー」日本経済新聞社)
 その反省としてアジア諸国で論じられているのは、通貨バスケットへのリンクと言われる。このバスケットの中で円がどのような地位を占めるかがわが国の円・通貨政策にとって大きな問題となろう。
 長く閉鎖的であったわが国の金融制度も、円の国際化を進めるために外為法の改正を始め色々な努力が進められている。だが、円がアジアで地域的とは言え国際通貨として使われるためには、わが国経済が国際的に占める地位が高いというようなことだけでは十分ではない。通貨バスケットに円を使うことをアジア諸国が選択しなければならない。しかしその選択は、現在の日本人が考えているように、経済だけで選ばれるのであろうか。
 アジアの通貨危機以前は円圏形成の主張は、アジア世界では現実味を欠いていた。アジア諸国の通貨はドルにペッグされており、アジア諸国の側に円とのリンク度を高める意思がほとんど無かった。しかし通貨危機を経て、アジア諸国はドルに百%依存することを問題とし始めた。結果、円との緊密な関係を望んでいるといわれる。円の国際化を進めるには、今が千載一隅のチャンスであるという。(益田安良「ユーロと円」日本評論社)
 ところが経済が回復基調にある今日、アジア諸国では対米依存が以前よりもいっそう進み、それに加えて企業の米国資本による買収がすざまじい勢いで進んでいるという。そんな中で、五月六日からASEANプラス日本、中国、韓国の蔵相による蔵相会議が、タイのチェンマイで開催された。そこではアジア域内での通貨危機の再発防止のため、外貨準備が不足した国に対して相互に外貨を融通しあうASEANの通貨スワップ協定を拡大し、外貨準備の潤沢な日、中、韓の三国が参加することで合意したと発表された。しかしこれなどは、円の国際化に繋がるのであろうか。日本の円にはそれを実現するだけの基本条件が果たしてあるのであろうか。

●マレーシア中央銀行総裁の円国際化に向けたメッセージ

 昨年九月、東京でマレーシア協会が主催した「アジア経済再生 金融システムと地域協力を考えるシンポジウム」が開かれた。ここで基調講演を行ったタンスリ・アリ・アブル・ハッサン マレイシア中央銀行総裁は、「ヨーロッパや北米に貿易圏が成立している国際的展開の中で、強いアジアはバランスを取る上で必要であり、三つの極により世界経済を安定させて行くことが必要である。
 より強力に統一されたアジアになるためには、強力なリーダーが必要である。アジアには共通の通貨が無い。世界第二位の経済大国、日本の円の価値は、米ドルの付随的なものになっている。
 アジアは経済・金融協力をより緊密にする必要があり、通貨の面では統合前のヨーロッパで強いマルクが碇の役割を果たしたように、円がその役割を果たすべきである。米国の反対によるAMF構想を断念したことは残念であり、宮沢構想でアジアにおいて日本は重大な役割を担うに至っている」と述べた。
 もっともマレーシアの本音はどこにあるのか。ルック・イースト政策に応えることも出来なかった日本であり、歴史の謝罪を繰り返す我が某元首相をたしなめたマハティール首相は、日本という国家の可能性と限界を知り尽くしているという。そのマレーシアのタン・スリ総裁の日本に対する期待は、アジア経済危機にそれなりの資金を提供した日本に対するリップ・サビスであったかもしれない。
 米国やIMFに真正面から反発する政策を採用したマハティール首相であるが、実は一方では、国内金融システム再構築のために設立した機関のアドバイザーは米国金融機関であり、外債発行の主幹事も米国銀行であった。日本は何の関与も出来ず、マレーシアから相手にされなかったという(石原慎太郎監修 一橋総合研究所「国家意思のある「円」」光文社)。
 日本が必要とされているようでありながら、相手にされないのは何故であろうか。

●わが国の低金利で繁栄する米国

 八〇年代に経済の低迷に苦しんだ米国は、九〇年代に入り復活し成長を続け、現在では、財政赤字も解消するに至っている。しかしあまりにも高い株価はわが国のバブルと同じではないかと、そのクラッシュが心配されている。しかも貿易収支の赤字は年々増大の一方であり、貯蓄率は低く、巨額の経常赤字を埋めているのは海外からの資金の流入である。これは、米国経済はなんと言われても実は非常に不安定ということにならないか。
 80年代以来、米国の赤字を生めてきたのは主として日本による米国債権への投資である。その後、90年代に入ってわが国の経済状態は大きく変化したが、バブル崩壊後の今日に至っても、わが国の異常な低金利により、わが国の資金は継続して米国に流入し続けている。
 わが国の異常な低金利もあって、世界最大の経常赤字国が赤字をはるかに上回る外国資金を引き寄せ、結局は対外投資まで行っている。高貯蓄率によるわが国の貯蓄が米国にまわり、米国の消費を支えているのである。
 米国は基軸通貨国である。その特権を利用し通貨政策としてドルの高低を操作することが出来る。例えばドル安となると、わが国が投資した対米資産はその分だけ減額されることになる。わが国の対米投資は政策的に行われたが、わが国の被るかもしれないリスクに対するヘッジは、不思議にも全くなされてこなかった。(吉川元忠「マネー敗戦」文春新書)これは、なんとしても異常な姿である。
 円の国際化さらには円圏の構想等は、アジアに期待されているかどうかということだけでなく、わが国経済が破産に向かわない為に今や緊急の問題となっているのではないか。
 そればかりでない。ソフト・ランデングが望まれる米国経済にとっても必要なのではないか。私はそのために経済・金融上で何が必要かの議論をする積りはない。ただわが国におけるこれら経済・金融問題の議論には、通貨成立の前提となる初歩的で重要なポイントが見落とされていることを危惧するのである。

●通貨の信用を裏付けているのは軍事的な安全保障である

 日本における円国際通貨論には安全保障の問題が忘れられている。紙幣が一国内で通貨として通用するのは、国家がその紙幣を通貨として保証しているからである。国家の保証が権威と信用をもつのは、国家の支配に疑いが持たれないことで、それは第一に国家の安全が保障されていることである。
 軍事占領されているところでは、軍の発行する軍票が通貨の代替となることがある。それは占領地域における軍の権威が確保されていること、すなわち軍の実力による占領が信頼されていること、言いかえるならば軍の占領の安全が保証されていることである。
 ある国の通貨が国際通貨となるには、国内の場合のような強制力が働かないから、其の国の様々な形で示される経済上の実力が必要であろう。しかし経済力以前に其の国の安全が保障されていることが何よりも必要である。
 いつ他国から侵略され占領下に置かれるか分らないような国の通貨は、国際通貨とはなり得ない。国際通貨となるような経済力を持つ国は、軍事力も政治力も強大で、安全は保障されているのが通常であった。
 他の通貨の価値を表示する基軸通貨となったのは、英ポンド、米ドルといったその時の覇権国の通貨である。ソ連健在の頃、ソ連圏の内部だけではルーブルが基軸通貨であった。。
 基軸通貨となるには、其の国のGDPが世界的に大きいとか、物価が安定しているとか、経常黒字国であり対外純資産国であるとか、自由で発達した金融市場の存在とか、世界中に存在することとかが必要である、といわれている。この条件に関する限りは、円は一部その資格を有している、といえるのかも知れない。
 米ドルは基軸通貨であるが、しかし米国は世界最大の債務国であり、ドルも安定しているとは言い難かった。最大の債務国が基軸通貨国であるのは矛盾であるとの議論もあるが、現実には基軸通貨国としての特権を欲しいままにしている。
 それは何故か。米国が軍事的に並ぶものが無い覇権国であり、その安全は現在のところどの国よりも保証されているからである。独マルクは安定していたとされているが、冷戦中はソ連と西側の間で緊張が高まると、すぐに其の価値は下落した。
 また、「有事のドル買い」という言葉もある。すなわち経済・金融上の必要以上に、その前提としての政治があり、政治の前提としての安全保障がある。わが国が円の国際化を言うとき、円の安全保障すなわちわが国の安全保障は、当然の前提として考えられているのであろうか。官民を問わずわが国のエコノミストの議論の背景に、それを感じる取ることは難しい。
 テポドンに脅迫されたり、尖閣列島が中国海軍に占領されたりしても、わが国が何も出来ないとしたら、円は直ちに下落するのではないか。そんな状態で、例えば円の国際化の一つである外貨準備に円の比率を拡大するといったことを、アジア諸国はおいそれとするのであろうか。

●ユーロに至る西欧の経験

 円の国際化論や三極基軸構想等は、ユーロの出現にも大きく影響されているであろう。ユーロが創設されるまで、西欧諸国の政治的統合のために、これまで様々な努力がなされてきた。そして、通貨発行権という国家主権の重要な一つを各国が放棄してユーロの創設に踏み切ったことは、さらなる政治的統合のための大きな一歩である。
 西欧の政治統合は、古くから色々と提案されてきた。ローマ帝国という統合の歴史もあったし、特にトルコのような強力な外敵が存在するときは、統合論が花開く時であった。
 第一次大戦後は、クーデンホーフ・カレルギー伯による汎ヨーロッパ運動が、広い支持を得た。第二次大戦後はソ連の覇権に対抗して、米国によりマーシャル・プランの受け皿となるOEEC(欧州経済協力機構)と,防衛のためのNATO(北大西洋条約機構)という超国家的機構が創設された。
 西欧の統合のためには、歴史的に対抗してきた独、仏の協力が必要であり、ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が創設され、WEU(西欧同盟)が組織され、EEC(欧州経済共同体)が結成されて行く。そして様々な努力の後、ユーロの発足となる。
 第二次大戦後で西欧の統合化が論じられたのは、二つの大戦による西欧の弱体化と強力な米国とソ連の出現がある。政治的統合の努力が少しずつ実現して行くのは、軍事的に強力なソ連圏の脅威とそれに対抗する統合NATOの存在が大きかったに違いない。わが国では考慮の外であるが、軍事的安全保障は政治の全てに優先する。
 安全保障の統合化すなわちNATOの建設と運用は、各国の統合化の方向にインパクトを与えたに違いない。そしてそれ等の努力が実を結んだのも、米軍が中心であるとしても、NATOにより強力に安全が保障されていたからである。
 他方、自由市場はそのままでは弱肉強食の場である。西欧諸国は、わが国も同じであるが、基軸通貨国である米国の通貨政策であるドルの操作に苦しめられてきた。EMS(欧州通貨制度)の前段として、各加盟国の通貨の変動幅を対ドル変動幅よりも狭い範囲に抑えるという構想も、第一にそのためのものであった。ユーロの創設もドルからの独立が目的である。
 国際政治は一見矛盾する色々な側面を持つものである。ユーロが実現したのは、ソ連が崩壊し国の存在を危うくする脅威が遠のいた、すなわち安全保障の米国への依存度が少なくなったという一面もあろう。大きな脅威が現前する限り、また米国への依存が大きい限り、通貨の統一が出来たのであろうか。
 EU諸国は現在でもNATOにより安全を保障されており、さらに脅威であったソ連は崩壊しワルシャワ条約も解体されている。旧ワルシャワ条約諸国はソ連から離れて西欧諸国に接近し、EU加盟を望む国もある。
 それにもかかわらず、EUは昨年十二月の首脳会議において、独自部隊の創設に合意したと報道された。これは、五〜六万人規模の兵力、三百〜五百機の航空機、艦艇十五隻の装備で、六〇日以内に紛争地域に展開し、最低一年間駐留出来る機能を持つ緊急対応部隊の創設であり、二〇〇三年までに整備するという。
 続いて本年三月はじめには、EUは、独自の安全保障政策の立案を担う政治安全保障委員会、そこに軍事的助言を与える軍人による軍事委員会、軍事委員会の下部機関で将来のEU参謀本部となる幕僚部の三機構を暫定的に発足させたと報道された。
 これに対し米国からは欧州独自軍の創設だとして警戒感が強まっているとされている。
 安全保障の基本は自らの意思に従うことが出来ることでなければならず、その為には自らその力を持たねばならない。ユーロの創設と政治的統合化の進展は、EU自体が自らの意思に従う安全保障能力を必要とするに至ったことを如実に示している。日本人に対する警鐘ではないか。
 しかし同時にEUは米国に配慮して、欧州軍の創設ではなくNATOのライバル機構を作るものでないことを強調している。
 何故か。米国が軍事的には圧倒的な覇権国だからである。ロシアは軍事的にも弱体化しているといっても核大国である。コソボに対する干渉を阻止する力はなかったが、チェチェン問題に対しては米国からも容喙させないのは、通常兵器による軍事力もさることながら、核大国であるからであろう。
 ユーロを作ったEUも米国による安全保障を軽視するわけにはいかないのである。

●安全保障抜きの円圏はありえない

 円圏の創設を主張するなら、経済・金融上の論理だけでなく、わが国による円圏の安全保障も考慮に入れなければ、現実の力にならない。それは西欧の動き見ただけでも分ろう。
 経済体制を維持しているのは政治であり、政治を維持しているのは表には見えなくても安全の保障である。例えば、円圏が創設されインドネシアがその中に有ったとしたら、東チモールの問題でわが国が取ったような態度は許されないであろう。
 当初東チモ−ルに対してASEAN諸国は、ASEAN諸国が平和維持軍を出したい、その中心は日本となってもらいたいとの希望があり、インドネシアもそれを期待しているとの報道があった。植民地支配の歴史から見ると、当然の感情であるように思えた。ASEAN諸国が多国籍軍を編成しても、その能力は無かったのであろう。
 豪州を中心とする平和維持軍が東チモ−ル独立反対派民兵の動きを殆ど完全に封じたのは、圧倒的な武力の差と断固武力を行使するとの意思が表明されていたからだと思う。
 わが国は、PKO5原則の範囲内に無いとして、自衛隊の派遣はなされなかった。仮りに派遣しても本体業務は凍結されているし、武器使用も制限されているから平和維持軍としての活動は出来なかったであろう。これは集団的自衛権が保有はしているが、行使は許されていないというおかしな法解釈が原因である。
 こんな状態では、円圏を日本が主張しても、本気で相手にしてもらえないのではないか。
 冷戦中を振り返るとわが国の安全保障は、能力からみて米国に依存する以外の方法はなかった。しかしその結果わが国では安全保障ということ自体が、あらゆる思考から欠落するという世界に例の無い状態となってしまった。
 ソ連との関係に危機感すら持たなくなった。例えば某元首相は、五十五年体制は自社の役割分担であり、米国に対しては自民党が社会党の抵抗を口実にし、東側に対しては社会党が自民党の米国寄りを口実にする使い分けをしていたのだと言っている。冷戦は米ソ間の体制を賭けた倒すか倒されるかの戦いであり、米国側が負ければ自民党も存続出来なかった(社会党も同じであろうが)。それなのに、この人達にとって冷戦そして自分達の安全保障とは何であったのであろう。
 昭和五一年防衛計画の大綱が決定され、防衛力整備は基盤的防衛力構想に基づいて行われることとなった。防衛力は本来脅威との相対的関係で整備さるべきものであるはずである。ところが基盤的防衛力構想では、脅威を考えない基盤的な防衛力というものが考えられ、防衛力の規模は表で数量が限定された。
 その後のソ連崩壊までの間、極東ソ連軍は規模、質共に大きく増大したにも拘わらず、わが国の防衛力は装備品の質の更新が行われるに留まり、規模の拡大は行われなかった。自衛隊による防衛は、シビル・コントロールの下で思考停止していた。
 冷戦中はソ連の圧倒的な戦力の下で、わが国独自の防衛力の意味は考えられなかった。国際社会の通念では通用しない基盤的防衛力構想であっても、安全は保たれた。安全保障の主体が米軍だったからである。しかし防衛の分担を求める米国の意思が、大統領により強弱はあったにせよ、それほど強くなかったから、それが許されたのでもある。
 だが冷戦後の今日状況は変っている。円の経済圏を成立させるに必要な防衛力は、独自に構想出来ると思う。
 それは米国と対抗しようというのではない。それはわが国にとってマイナスであるばかりでなく、不可能である。わが国は貿易上米国との結びつきが最大であるし、大量の債権を米国に持っていること自体、米国から離れることが出来はしないではないか。
 アジアにおける当面の軍事的問題は、中国であり、北朝鮮である。中国はチベットを武力併合し、インドとは国境問題で武力行使をし、北ベトナムには懲罰と称して武力進攻し、ソ連とはダマンスキー島で武力衝突した。中国は本来自らの意思を通すために容易に武力を行使する国である。中国は核保有国であり、軍事力の増強に大変な努力をしている。現在も将来も、中国の武力進出を抑止しているのは米国である。わが国はそれに替わることは出来ない。
 その一つとして、わが国は核に対しては完全に米国の抑止に依存している。ただ、わが国は冷戦中も米国への依存が、状況に応じてどのくらい実効性があるのか考えたことも無かったし、また今日、中国や北朝鮮に対して従来の抑止理論がどの程度に適用できるのか検討もしてない。
 通常兵器の分野においても、米国はその兵力、装備の進歩において世界に隔絶している。コソボ紛争において、米軍は西欧諸国と比較して、装備の精密度においても、無天候性においても問題にならなかったと言われる。
 アジアにおいて核、通常兵器双方の分野で米国の存在抜きにものごとは考えられないし、また米国にとってもアジアは重要な地域であり、影響力の行使は十分考えていくであろう。しかし一方、米国は紛争において米国人の血を流すことに消極的になって来ており、戦略構想もその考えをベースとするようになってきているといわれる。東チモールでは、米軍は世界の警察官ではないとして、補給を分担しているだけと報道されている。
 今後の日本は、米国の軍事力に依存しないで自ら安全を保障していかなければならない場合も生じよう。現在中国の軍事力増強の努力は大きいが、わが国でもその意思があればある程度これに対応していくことは出来る。円圏の議論は、安全保障を忘れては有り得ない。わが国では安全保障が忘れられているからこそ一層それが必要なのである。

●現在の円国際化論議/その実態はパラサイトである

 さて、わが国は長い不況から抜け出せないでいる。一九八五年以降の円高ドル安差損による国富の消失が、ポスト・バブル期にデフレ圧力となった。日本の保有するアメリカ国債は究極の不良債権なのではないか。しかし今日まで財政当局は、独自の構想をもって国益を追求するといった発想を持たなかった。
 「マネー敗戦」(前掲)によると、ドルが不安定であるからこそ、なるべくその影響を受けないように、と各国政府は知恵を絞る。しかし日本の金融財政当局は、そうは考えなかった。不安定性があるからこそ、ウオール街を安定させることは、国際政策協調の精神に沿った「債権国・日本の責務」であると考えた。
 わが金融当局は、経済合理性からいえばそうなる筈の無い米国債の購入に機関投資家を向かわせた。ブラック・マンデーの事後処理において、わが大蔵当局が見せた獅子奮迅の働きは、日本のドルに対する過剰な思い入れを世界に印象づけた。日本の金融政策の基本的スタンスがあくまで対米協調にあること、ドルを支え続ける以外に独自のマネー戦略を持たないことを進んで告白したようなものである。
 一方ドイツも、六〇年代には、防衛肩代わりに対する見返りとしてドルの防衛を始め利益の供与を約束している。しかし八〇年代にはドイツは不安定なドルから離れ、EMS(欧州通貨制度)の中で中心的役割を果たすことになって行った。日本はドイツに代わってドルの支え役となったというのである。
 ドイツにとって米国は、安全保障のためになくてはならない存在である。しかし米国との関係は国益に基づく関係でもある。今日の国際関係は基本的に国益の関係を離れては有り得ない。ドイツが国益を考えて行動することが出来るのに対し、わが国が出来ないとすれば、それは何故なのか。そうした日本通貨当局の態度はどこから来るのであろうか。
 ドイツは米軍の存在に安全保障の根幹があるとしても、自らも防衛の努力を忘れたわけではなく、出来る限りのことはしている。安全保障を忘れるかどうかの差が、精神の自主・自立を失うかどうかの違いとなったのではなかろうか。
 パラサイト・シングルという社会病理が問題となっているという。自立を恐れ、また自立出来ず、親に寄生(パラサイト)している女性が多いという。自立するほどの金はないが、親にパラサイトしているために、旅行をしたり、洋服を買ったりそれなりの自由と贅沢を楽しんでいるという。親も淋しかったりして、パラサイトを喜んで許している。
 わが国は金はあるが、安全を米国にパラサイトしている。米国のためには出来る限りの努力をする。米国はその利益は享受するが、親のように喜んでパラサイトを許している訳ではない。それが米国の国益に合致する限り許しているに過ぎず必要が無くなれば捨てるであろう。
 帝国主義時代に植民地の中で比較的自由を認められていたものに保護国がある。宗主国は、保護国に外交、軍事の権限は認めなかったが、経済活動その他の権限は程度の差はあれ比較的に自由を認めていた。植民地には色々な形態があったが長く続いた植民地で問題なのは、人の心が従属を当たり前のことと思うようなってしまうところにあった。独立を目指す人々の運動の大きな一つには、そのようになってしまった人々の心の啓蒙にあったといわれる。わが国の心理はそのように大変なことになってはいないのか。
 現在言われている円の国際化論議は、安全保障の基本を自国においていない限りは、つまいパラサイトである限りは、現実性を欠いており、自己肥大な妄想とあしらわれても仕方がない。

●円の国際化を実現するために

 日本は水と安全をただと思っていると言われて久しい。安全を考えないために日本人が国益を考えず、妙な甘えで世界を見るようになっているとすると、大変な問題である。それだけではない。自ら守ることを考えないために、自分にとって何が大切かということも失なってしまったのではないだろうか。
 大切なものがあってそれを守らねばならない、という気持ちが国民の間から消えてしまっている。それが小学生にまで至った教育荒廃の根本にあるように思われる。今日の防衛体制のあり方が、国民の間の自ら守るという気持ちを失わせてしまった一因とすると、それを創り出した人々の責任は大きい。
 三極基軸構想が適切かどうかは別として、円の経済圏構想という考えは、わが国の安定した発展のためばかりでなく世界の安定にとっても必要であろう。バランス・オブ・パワーから言えば、ドルとユーロの二極では不安定で、三極が必要である。
 米国からすると今でもアジアはドル圏であろう。だから先頃のアジア経済危機に際しては、米国もIMFもAMF構想には反対した。その後になって、ロシアから中南米にと危機が波及するにつれ、米国だけでは救済の余裕が無いことが明らかになり、日本の援助を求める様になってきたという。八〇年代に入ってから世界経済を動かす力は、財・サ−ビスの取引きすなわち実物経済から、マネーの取引きすなわちシンボル経済に移っている。巨大な国際投機をコントロールすることは、米国でさえ出来なくなっている。アジア経済危機の結果から米国もそれを認識し始めたという。
 経済のグローバル化が言われるが、IT革命や大企業の多国籍的展開の一方、実物経済では経済圏が発展しているし、通貨の面で最適通貨圏という考えもある。国家間の貧富の差が地域によって恐ろしいほど拡大している今日、グローバル化が経済の発展のみを意味するとは考えられない。情報は入るものの生活の格差はどんどん広がるとすると、むしろ政治不安が生じそれが経済の停滞となるかもしれない。そうならない為にも、経済圏の考えが重要かもしれない。わが国が円の国際化を図り、世界の発展に寄与しようとするならば、同時に安全保障を考えなければならない。それはわが国の安全保障体制を考えるというだけでなく、常に安全保障の観点を忘れてはならないということである。とすると、五月におこなわれたスワップ協定の拡大に中国を参加させたのはどういう考えなのか。
 最近シンガポールを始め東南アジアの国々が軍事面で米国との関係を深めている。これは中国を意識してのことである。一方中国は、あらゆることを政治目的で考える国である。通貨安定ということだけで中国の参加を考えてよいのであろうか。
 更に経済でも体制が異なるだけでなく、経済は停滞し、元の引下げの囁かれている。わが国のODAが大きな支え戸なっている国が、外貨準備が大きいというだけで他国救済のため現実的に動きうるのであろうか。
 経済・金融の論理だけで経済・金融が動くわけではない。それを考えない円の国際化は夢のまた夢であろう。
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