

■虎ノ門戦略研究所
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2001年10月
テロ特措法が検討される過程で、各党から様々な議論が出された。その中で自民党の一部長老議員の発言には驚かされた。私には、それは当人の見識を疑うことで済ませるわけにはいかない、自衛隊に対する侮辱のように思えた。個人的意見にせよ、影響力ある立場にいた人が基本的にこの様な発想で今日までの自衛隊の管理にかかわってきたのか。私は深刻な怒りを感じる。私は自衛官ではなかったが元自衛隊員である。私の気持ちを隊友の皆さんに伝えることにより、皆さんの意見を聞いてみたいと思い、隊友新聞に投稿することとした。
あきれ果てたのが、某紙に載った後藤田正春氏の発言である。氏は、警察庁長官の後政治家となり、官房長官、副総理・法相をつとめた人であることは、今更言うことも無かろう。しかも、氏は危機管理にも通じた良識派の重鎮のように思われている人である。
氏は、「米軍基地ばかりか、国会など重要施設を自衛隊が警備するという話も出てきた。治安は基本的に警察の仕事。両者はまるっきり役割が違う。警察の手に負えなくなったとき、初めて治安出動で自衛隊の力を借りればいい。そうでない限り、国民に直接、銃口を向ける立場に自衛隊員を立たせてはならない。」と言っている。重要施設がテロ、ゲリラの攻撃の対象になる可能性がある場合、装備、訓練など警察では、対処出来ない恐れが大きいことは目に見えている。テロ、ゲリラに対する場合警察と自衛隊の役割の差は、能力上の差にすぎない。両者はまるっきり役割が違うとはどういうことか。通常の犯罪の場合なら、自衛隊が出動することは余程の場合でなければありえない。まるっきり役割が違うといえよう。しかし、今問題としているのは、高度な或いは先端的な武器を持つ外国人テロ、ゲリラである。テロ、ゲリラに対しては、能力に応じて警察か自衛隊が対応すればよい。それが国の機関の効率的活用であり、警察に自衛隊と重複する装備、部隊を持たせようとするのは、国費の無駄遣いである。国に対する脅威は時代の変化と共に変わる。時代と共にそれまでは想定していなかった脅威が出現する。それにとりあえず現体制で対応しようとすれば、出来る範囲での法律の解釈の変更、それで対応できなければ、新しい立法が必要となる。脅威にどう対応するかが求められているのである。ところがわが国では自衛隊が関係すると、これまでの法の解釈が先行し、脅威にどう対応するかの視点が失われてしまうように思える。国家として目前の脅威に対抗するには、本末転倒であるように思える。
更に、これは治安出動の問題ではあるまい。治安出動は、「・・・・間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては、治安を維持することができないと認められる場合には、・・・・」となっている。重要施設、例えば原発へのミサイル攻撃に対する防御の場合等、防御が失敗し被害が出た場合、住民にパニックがおきるかもしれないが、治安維持とは異なるのではないか。
しかも国民に直接銃を向けるとは、何と言う発言か。正気の沙汰の発言とは思えない。先にも述べたように、国民に銃を向けるのではない。重要施設を守ことは国民を守ることである。自衛隊が銃口を国民に向けるというなら、警察は、拳銃の銃口を国民に向けるということなのか。そして、能力に余ることを警察にさせ、必要も無く警察官が殺傷されることが、元警察庁長官の後藤田氏には好ましいことなのか。
氏は続けて、「軍隊はなくてはならない組織だが、使わないのが一番国民のために幸せ。」といっている。命を賭けて仕事をするのであるから、使われないことは自衛隊にとっても幸せである。しかし使うか使わないかは国際情勢に対する判断であって、それが国民のために必要と判断するから、使うことを考えるのである。簡単に使ってはならないのは当たり前であって、「使わないのが一番国民のために幸せ。」とは、使わないのが全ての前提のような考えで、わが国が侵略されても使わないのか。何を考えているのか分からない。
「戦後の変遷を経てだんだん自衛隊は役に立つとわかってきた。そうなると、おれたちを早く使ってくれという動きが隊内にも出て来る。そこが間違いだと思う。」とある。戦後の変遷を経てだんだん自衛隊は役に立つと分かってきたとは、どういうことか。国家にとって必要だから、自衛隊憲法違反との憲法学者の意見にもかかわらず創設された。だんだん分かってきたなど元副総理、法相の見識を疑う。そして、「そうなると、おれたちを早く使ってくれという動きが隊内にも出て来る」とは、どういうことか。武器使用も非合理な制限を課せられ、不要な犠牲の心配もある。命令があれば出るが、こんな状態では不安だというのが、実情であろう。早く使ってくれという動きが出て来るとは、自衛隊に対して非礼である。その前に自衛隊のことを何が分かっているのか、己を知るべきであろう。
「治安出動が下る前に、こくな治安にまで自衛隊が出ていくなんて、間違いもはなはだしい。」と最後に述べている。外国のテロ、ゲリラに治安出動が下令されることもあろう。しかし、テロ、ゲリラが常に国内反体制勢力と呼応していると考えるのは、警察庁勤務時代から頭が変化していないのではないか。
次に、宮沢元首相は、「産経新聞は、自民党の長老の頭はぼけていて、自衛隊が国会を守るのを邪魔したのはけしからんと書くが、ある年齢以上の人間はどうしても陸軍の一部将兵が決起して東京のど真ん中で起きた昭和十一年の二・ニ六事件を連想してしまう。同じことでも被害が出てから自衛隊が出動することには期待するのだが、予防の段階から(自衛隊に)いてもらうことには、賛成しにくい」と述べている。
軍隊というと二・二六事件の時の兵を思い出すと述べている。それは、軍隊に対する氏の原体験であり、軍隊は嫌いというのが氏の基本的感情なのかもしれない。しかし軍隊も自衛隊も国の機関であり、それぞれの機能があり、国家にとって必要だから保有している。必要がないのに保有しているというなら、それこそ行革の対象とならなければならない。氏は国家にとって自衛隊は必要と考えているようであり、自衛隊は必要ないとは言っていない。
問題は、原体験に基く感情判断から自衛隊を如何に使うかの判断が行われていることである。予防の段階から自衛隊がいることこそテロの抑止にもなる。自衛隊が予防の段階から出るか出ないかは、政策判断の問題であるのに、個人的感情から判断がなされているのは、政治家として更には元首相としてどういうことであろうか。
政治家として、軍隊は国家にとって必要であるが、二・二六事件のようなことはあってはならないことと考えるなら、自らの感情は別として、あのような事件がおきないようにするには、軍隊の管理は如何にあるべきか、そして現在の自衛隊はどうかということを考えるべきであろう。私は、当時と現在の社会、部隊のあり方からいっても、更に幹部の人事管理からしても、あのうようなことは起こりえないと考えるが、宮沢氏は、そのようなことを問題としているとは思えず、原体験からする感情から政策に対する判断が行われているようである。自衛隊をどう使うかの判断が、このような次元からされていたとは情けない限りである。
戦前の軍隊特に陸軍は、政治に介入したことでも、下部機関(関東軍)が中央の指令に従わなかったことでも、下僚が上部のいうことを聞かなかった(下克上)ことでも、徴用の仕方でも、私は、組織そのものとして疑問を感じている。しかしそこでの体験が戦後の自衛隊に対する感情の基本となり、そこで判断がなされてきたとすれば、あまりにお粗末のように思われる。
対策法が成立するまでの間、各党で色々な議論が行われた。国会は立法機関であり、政治家の集まりである。そこでは本来、新しい事態に対してわが国は如何に対応すべきかの議論があり、それに対して現行の法にはどのような問題があるかの議論があり、法に問題があればそれをどうするかの議論があるべきであった。ところが現在ある法から見てどうかという議論が先行したように思える。それは、法の執行者である官僚の議論であっても、立法者、政治家の議論ではなかろう。
また、今回のような場合に国家としての対応が問われているのであるから、共産や社民は別として各党は、それぞれの主張は撤回しなくとも妥協があっていい筈である。それが面子や自党の基本的立場に固執して反対にまわるのは、現実に対応すべき政治家集団として問題があるのではないか。
自衛隊の国内における使用にもおかしな議論が多かった。国内の問題に対しては第一義的には警察が対処するとは、何で決まっているのか。警察の保有する能力で対処出来ないところは自衛隊が行うのは、国家の機関の保有する事実上の能力からの判断であるべきである。そして能力に応じた振り分けによる使用が法的に整備されていなかったら、立法機関としてそれを行えばよい。優れた官僚組織は、自己の組織の拡大を追及する。自衛隊の保有する能力を他の国家機関が重複して持つのは、資源、予算の無駄使いである。
自衛隊は国内においても国民を守る為のものであって、諸施設の警備もその一つである。警備が国民に銃を向けるかのような発言があった。それでは警官による警備は、ピストルを国民に向けることにはならないのか。宮城、国会、首相官邸は自衛隊の警備から外すというのは、それらは大切ではないということか。 |
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