
■虎ノ門戦略研究所
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2002年2月15日
■3戦前の軍隊とトラウマ■
国会におけるテロ特措法の審議過程で、マスコミを通して目に入る一部与党政治家の反対論は感情論でしかなかった。
産経新聞も「馬鹿げた国民に銃口論」という見出しで、そのような反対論の批判を載せている。そこに例示として挙げられている反対論は、「・・・警備に取り組んでいる警察への侮辱。・・・戒厳令と受け取られる。・・・沖縄県民に銃を向けることになる。・・・自衛隊が前面に出ると、人心を不安にさせる。・・・現行法で治安出動を命じればよい。」などである。また、私が国家の一機関である自衛隊に対してこんなことを言うことが許されるのかと記憶に残ったものに、「国民に直接銃口を向ける立場に自衛隊員を立たせてはいけない」とか、「自衛隊が出ると、2.2.6.事件を思い出す」とか、イージス艦を出すことに反対して「派手なことをするな」という記事である。
これらの反対論を一々批評はしないが、テロ、ゲリラに対処する上で警察と自衛隊の関係は、簡単に言えば、どちらがどれだけの能力をもっているかの問題である。その時の状況、規模、それぞれの対処能力に応じて対応すればよいだけである。一方に能力があるのにそれを使わず他方に同じ能力を持たせるのは、国費の無駄使いというだけである。
また一つ、旧軍が国民に銃口を向けたことは無い。国防の任務の一つが国民の保護であるならば、旧満州、沖縄において最後の段階で、軍が住民保護よりも組織の甲斐なき維持に努めたように見えるのは、政策の問題として私には疑問である。しかしそれは国民に銃口を向けたのではない。また戦いに敗れ敗残兵となった者が、自分の身の安全を確保しようとして住民に被害を与えたこともあると言われるが、これも軍としての行動ではない。まして2.2.6.事件はクーデターであって、このようなことはあってはならないが、軍が国民に銃口を向けたのではない。このようなことが起こらないよう軍の管理を如何にするかは重要な問題であるが、重要施設の警備とは全く無関係の問題である。
ここに挙げた反対論は、全て、自衛隊が如何なる機関であり、それを如何に使うのが国家にとって有意義なのかとの観点からの議論ではない。自衛隊に対する感情的な反発から反対論が展開されているだけのように見える。
感情的反応でも反発からではない率直なものは、次のようなものであろう。皇居、国会、総理官邸が自衛隊の警備対象から外すとされた時、それを聞いて咄嗟に、そこは重要施設ではないのかと言った人がいた。それが通常の庶民の感覚ではなかろうか。
感情的反発に基づく反対論は、政治家の間では幅広い世代にわたり見られたが、私が気になったのは、戦前世代の長老政治家によるものである。そして、それがその後の世代の政治家にも影響を与えているのであろう。戦後の行き過ぎた平和主義は、国防の意味を曖昧にさせてきた。しかし戦前を経験した政治家は、腹の底ではそのようなことはないだろうと私は漠然と思っていた。ところが私の思いは間違っていたのである。
戦前世代の政治家の多くが戦前の軍隊特に陸軍に対する個人的経験から、特別な悪感情を軍隊そして引き続き自衛隊に持っている。その原体験に基づくトラウマから自衛隊に対し感情的反対がなされると考えざるを得ないのではないか。そのトラウマがいまだに尾を引いているとすれば、敗戦後50年余を経た今日、未だ陸軍は影響を残している訳だ。自衛隊という国家の機関に対する判断が、国家としての必要からではなくてそのトラウマから行われているとすれば、我々は政治家をなんと思えばよいのであろうか。この人達は、これまで日本の政治に大きな影響力を及ぼして来たのである。
戦後、東京裁判史観が全面的に受け入れられる一方、少数であるが戦前の日本は全て間違っていなかったとの主張もあった。最近では、戦争指導などについても、日本として止むを得なかったところと批判すべきところを日本人の目で考えるようになってきている。我々戦中以後の世代は歴史を自らの手で再評価して、トラウマに毒された発言に惑わされない歴史認識を持ち、国際社会で自信をもってわが国の針路を考えるようにしたいものである。
最後に、今回のテロ以来どうにも遣り切れないのは、米国人が何かと言えば真珠湾を引き合いに出すことである。20代であっても米国人と付合いのある人からはそのことを耳にする。恥を知る日本人なら皆同じであろう。真珠湾・・・サプライズ・アッタク・・・騙まし討ちの典型、最悪の例として何時も持ち出される。最近ルーズベルトの謀略説などが出ているが、それは騙まし討ち自体の言い訳にはならない。
しかし少なくとも当時の日本政府は、真珠湾攻撃の前に米国政府に宣戦布告する意図であった。それが遅れ、宣戦布告が攻撃の後になったのは、当時の在米日本大使館職員の考えられない怠慢と失態が原因である。攻撃の少しでも前に宣戦布告がなされれば騙まし討ちとはならなかった。その後の米国内の政治的状況も変わったかもしれない。
そうであっても、事実は事実として何時までも我々は騙まし討ちの汚名を負わねばなるまい。しかし日本人としては、大使館の失態が歴史に持つ責任の重大さを厳しく追求すべきではなかろうか。米国に対する弁明にはならなくとも、日本が国家として騙まし討ちを意図したのではないこと我々が知るだけでも僅かな慰めとはなろう。 |
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