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2002.10.27
皇后様のお言葉に本質がある (神社新報第2670号)
 皇后様は、十月二十日お誕生日を迎えられるに当たり、宮内庁記者会の質問に文書でご回答された。その中で北朝鮮による日本人拉致事件について、次のように述べられたと報道されている。「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分達共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族の再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入の淋しさを思います。」このような内容の言葉は、我々には発することは出来ない。一部国民が被った理不尽な苦しみと怒りに対して、日本国と日本国民統合の象徴天皇陛下の伴侶であられる皇后様が、皇后様として同感されたお気持ちの自然な発出と非礼ながら感じられる。
 横田めぐみさんが拉致されたのは、昭和52年である。53年には、地村保志さん、蓮池薫さん、市川修一さん、曽我ひとみさんらが、相次いで拉致され、その後も拉致は続いた。それから二十年、ご家族は、その訴えを政治家、外務・警察官僚などに無視され続けてきた(石高健次:文芸春秋十一月号)。平成9年ようやく「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」が発足し、次いで「北朝鮮拉致日本人救援議員連盟」が結成された。そして、警察庁が「拉致の疑いのある事案」として、横田さんら7件10人を認定した。(産経新聞平成14年10月10日)北朝鮮が拉致を認めたのは、平成14年9月17日、小泉総理の訪朝によってである。
 それも、どうしても国交回復を必要とする北朝鮮の国内事情からであった。そのような国内事情かなければ、現在の日本のやり方では、北朝鮮に拉致を認めさせることができたであろうか。
 更に警察庁が拉致を認定した後も、北朝鮮の拉致否定を頭から信じて、拉致は存在しないとする政党や教育委員などがあった。また、原ただあきさんを拉致しスパイ活動をするために本人になりすまして韓国に入国し、逮捕されたシン・ガンスに対し、わが国で平成2年無罪釈放を求める嘆願書を作り署名した多数の議員もいる。警察も誤りはあろう。しかし真実であれば主権侵害である問題に対して、日本の警察の発表よりも、国交もなく、世界から顰蹙を買っている超独裁国家の主張を頭から信じ、拉致は創作としてはばからない。このような公人は今後糾弾さるべきであろう。
 しかし私がここで問題としたいのは、これらの政党や人々のことではない。また、長く問題を棚上げしてきた与党や政府でもない。今の日本にとって問題なのは、日本人が一人でも拉致されたと聞くだけで、瞬間許せぬと感じる気持が今の日本人にどれだけあるのか、ということである。皇后様のお言葉「何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったがとの思いを消すことができません。」である。このお言葉は、今日の社会状況にずいぶん配慮されて選ばれたお言葉であると私には思えるのであるが、その言われることの本質は、今日のわが国の根本問題である。私自身、横田めぐみさんのことを初めて知り、北朝鮮に宣戦布告する理由となるのではないかと思ったが、具体的な行動には、何の参加もしなかった。共同社会の出来事としてどれだけの怒りを感じていたのであろうか。拉致事件について、同情はしながらも何もしなかった人は多いかもしれない。しかしあえて言うならば、今の日本人は、国民同胞を同胞と感じる心がどれだけあるのだろうか。 昨年米国の同時多発テロでは、日本人犠牲者も50人近くあった。彼らはテロの犠牲者である。テロで日本人が多数殺されたのだ。しかし当時のわが国の反応は、日本人が殺されたということにはなく、米国に大規模テロがあったということにあったように思う。例え巻き添えでも、日本人が殺されたのであるから、巻き添えにしたテロリストに腹を立てるのが普通ではないのか。家族がテロの巻き添えに逢えば、そのテロに腹を立てるのが人間であろう。
 この前のサッカーのワールド・カップで、半年ほど前に大阪の英語学校に教師として来日した若い英人女性が、日本人に驚いていた報道があった。日本人の男性同僚が、「自分は、日本でなく英国のチームを応援する」と言ったので「信じられない」というのである。サッカー観戦のたわいもない話しと言えばそれまでであるが、国民心理としては、そのままでは済まされない気がする。
 グローバリズムといっても、今日の世界は、具体的に人権を守っているのは国家である。国家に対する自覚がないと世界に対する貢献も出来ないと思う。日本人に対して同感の感覚を持たない者は、他国の人に対しても同感することは出来ないのではないか。
 日本人は、いつからこうなってしまったのか。山本七平氏の「空気の研究」の中に、雑誌記者から質問されて日本の文化は差別の文化だと答えるところがある。その説明として、爆弾テロにより三菱本社が爆破された時、日本人は自分の知り合いしか助けようとしなかた、だから差別の文化だと説明がある。差別なんて編集部の空気から言えませんと記者の話が続くのであるが、本題とは別にわたしが驚いたのは、自分の知り合いしか助けようとしない日本人ということであった。私の日本人に対するイメージは、誰にでも親切で、私から見ると親切過ぎるというものだったからだ。
 私自身も、私達夫婦を日本のお父さん、お母さんという英人カップルから、日本人は交通事故に遭った人を見て、知らん顔をして行ってしまうと言われ、当惑した経験がある。
 日本人はこうだったのであろうか。靖国神社の遊就館に三井甲之の歌「丈夫の悲しき命積み重ね、積み重ね守る大和敷根を」という歌かかけてある。この歌がかけてあるのは、この歌が鎮魂の為ばかりではなく、戦争で死んでいった人々の心を代表しているかであろう。この大和敷根とは、自分の知り合いだけであろうか。そんなことは決してない。日本の国全体、歴史を含めた全体を言っているのだ。我々の先輩達は、日本の国全体を守る為に戦ったのだ。戦前までは、日本人は国全体のことを考えていたのだ。それが失われたのは、極東裁判とその後の言論の検閲が大きく影響していると思うが、そればかりではないかもしれない。
 いずれにせよ、国民を守れず、主権侵害を放置した責任は国にあり、民主主義国日本で国にそうさせたのは、国民にある。国民に国民としての感覚が薄らいだことにあるのではないか。いまに至って拉致がマスコミでも連日大きく取上げられ、北朝鮮が非難されているが、その原因を作ったのは、今の日本人の精神状態にもある。武力行使も厭わぬ対抗措置があれば、ここまで問題を大きくはさせず、また早期解決の方法もあったろう。
 これを機会に、この精神状態を立て直さねばならない。皇后様の「無念である」とのお言葉をそのままにしておいて良いのであろうか。        
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