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1 政治優先の原則
報告書は、「文民統制は『軍事実力組織からの安全』を担保するための仕組みと考えられ、軍が国を敗戦に導いた過去を持つ我が国にとって、とりわけ重い課題である。戦後の自衛隊の運営において、この意味での文民統制が必要であるとされてきたのには十分理由がある。」と述べている。
軍は国内では最大の実力組織であり、軍事実力組織からの安全の担保は大切だ。このコントロールは、独裁的国家ほど力を注いでいる。共産ソ連では、軍に政治将校を配置してコントロールをしてきた。共産中国では、「紅」(政治思想)か「専」(軍事能力)か、ということで、長く紅が優先されてきた。最近「専」優先が言われるようになり、それが、隠れた中国の不安定要因の一つになるかもしれない。
民主主義諸国で政治統制が機能しているのは、法による支配が軍人の間にも浸透しているからだ。戦前の日本はどうだったのか。軍も、天皇の権威の下で、法の支配には服していた。戦前も、司法、立法、行政の三権分立は行われ、
民衆の参政権も確立していた。軍が政治に介入するようになったのは、軍の強権力発動で文民統制が失われたからではない。支那事変解決が進まず、米国との関係は悪化する一方で、政党政治が機能しなくなった。支那事変については、
ある元老が、軍は哲学を持っているが外務省は哲学を持たないから、軍が主導権をもつのは当然だということを書いているという。元老即ち政治に責任を持っていた人が、そのような事態の中で、自分の意見を持たず、解決を図ろうとしないことこそ当時の状況を象徴しているといえる。
「軍が国を敗戦に導いた」とは一面的な歴史認識だ。しかし、陸軍に徴用された経験から、戦後特に陸軍に対する反感は内務官僚の間で大きく、軍統制の必要は内務官僚等の間では一般的認識だったように思う。
それには陸軍の官僚的独善体質も強く影響している。支那事変当時、大きな
作戦について、陸軍は総理大臣にも報告しないことがあった。困ると総理大臣が天皇陛下に泣きつき、陛下が陸軍に話してやると言われたという、何ともいえない話もある。陸軍には、その外にも、下剋上とか幕僚統帥とか、組織の体をなさない色々な問題があった。
しかし、独善は、我が国の縦割りの官僚組織には、多かれ少なかれある体質ではなかろうか。権限が集中するほど他を排する独善体質が強くなるのだ。
報告書は、「自衛隊誕生以来の実績を見れば、自衛隊が民主政治の意向を
無視して行動する可能性がほとんどないことは明白である」と述べているが、実情は、その通りだ。しかし、今後状況が変わり、自衛隊の活動が政治の中心的課題となった時、自衛隊に政治優先の原則が根付いているかどうかが問題だ。
むしろ自衛隊に合理的必要さえ抑えられている現状では、振り子が逆に振れる可能性さえある。戦前若い軍人が跳ね上がったのは、大正軍縮が納得できる結果に繋がらず、不満が蓄積していたからだという意見もある。現状でも、政治優先の原則が正しく機能するよう配慮しておくことが必要と思う。
文民統制の原則は、私は政治優先の原則と呼ぶが、報告書の言うように「軍事実力組織からの安全」の担保というだけのものではない。この報告書の好きな全体最適という言葉を使えば、軍事という部分の必要がいかに重要でも、政治に軍事が従うことが日本の全体最適のためにはどうしても大切ということだ。
政治優先には何が必要か。軍事は、究極は勝敗が全てを決する極端な場であり、軍事には軍事に必要な軍事合理性がある。軍人の任務は勝敗を前提とする
し、自己と部下の命が懸けられている。政治は、軍事の本質と軍事合理性を理解する必要がある。政治は、軍事合理性を出来るだけ尊重する態度が必要だ。
軍人には自分達の主張にそれなりの根拠がある。一面的な場合があることもあるが。それを理解しないで、軍人に政治優先の原則を強いても、心服させることは出来ない。
今日、政治優先の言葉は、決まり文句として振り回され、徒な細部に干渉することが政治優先とされる。かつて、PKO部隊が携行する車両に防御用機関銃を二挺車載したいとしたところ、どうしても一丁と主張して、その主張を通した野党議員がいた。こんなことが政治優先の名で行われることは、政治優先の原則を破壊していくことだ。
問題は、政治が軍事について無知に過ぎることだが、それは、国民が軍事について無知であることから始まる。軍事は専門家でなければわからないのか。
そうではない。確かに、高度な武器の使用や部隊運用には専門的知識が
必要だ。しかしその意味では自衛官でも、戦車の専門家は、戦車以外の航空機や艦艇のことは全く分からない。政治上の必要と軍事上の必要の関係は、軍人にも分からない場合がある。秋山真之は、「負けぬ気と油断なき心があれば、
誰でも戦略家になれる」と言ったが、素人でも軍事の理解が出来るということ
だろう。武器や運用の専門知識が難しいから、軍事はその専門家しか分からないという考えでは、政治優先などもっての外だ。
問題は、明治以降、軍事に関する教養が軍以外には全くなくなったことだ。それは軍隊の経験ということではない。それは、軍事の理解という点からは、ほんの細部に過ぎない。軍事に関する教養とは、歴史、戦史の理解だ。それが、一般大学では、現在でも行われていない。
明治以降、官僚の世界では、法科第一主義といわれたが、法律は統治の手段であり、その解釈の技術は、統治の理念を教えるものではない。明治以前は、
武士の教育は、儒学や兵法(武術ではない)であった。それは西欧流の学問とは違い、近代技術の要求から離れていても、統治や軍事の本質は教えていたといえるのではないか。明治は日本の誇るべき時代だが、西欧文化の取り入れ方
に、過ちも多くあったのではないだろうか。
2 内局と政治優先
文民統制について、報告書は続いて「・・・自衛隊が民主的政治の意向を無視して行動する可能性がほとんどないことは明白である。このようないわゆる消極的な文民統制という考え方に対して、いまや、軍事的実力組織を如何に効果的に
使って安全保障を高めるかという積極的な観点の文民統制の考え方も十分考慮にいれなければならない。」として組織改革の必要を述べている。積極的な観点の文民統制というのはもっともだが、自衛隊が消極的で退嬰的とすれば、それは報告書のいうように、内局等の組織の在り方の問題だろうか。
内局は、政治優先のために防衛庁長官(大臣)を直接補佐するよう、米国の
制度を前提として作られた機関だ。組織の形は独特で、課長補佐(部員)を中心
とし、その下に部下はいないのが原則だ。自ら案を作成するというより、幕僚幹部の案をチェックするよう作られている。最初、各省からの出向者が部員となり、軍のチェックを行うと考えられていたのではないか。
現在では防衛省採用が中心を占め、当時のように、部員には略語の説明から
(例えば「SS《潜水艦》とは何ですか」の質問から)始まるということは、無くなっただろう。
そして、防衛庁の発足当時のような、軍の暴走を抑えるためにただ統制するという考えはないと思う。以前と違い、防衛の必要の為には、自衛官と内局部員は協力して働くという姿となっていると思う。
問題があるとすれば、それは戦後長く続いた政治の姿勢にある。内局職員は、当然ながら、国や政治の方針を忠実に守ろうとする。それは、今の日本では、軍事合理性とは全く離れた場合がある。各幕の方は、発想の基本は軍事合理性に基づくし(場合によっては極端で行き過ぎる場合もあるが)、そこには、当然ながら対立が生ずる。
例えば、専守防衛という日本独特な考えがある。専守防衛により兵器の到達距離などにも制約がある。技術の発達から最新兵器の性能はどんどん向上する。各幕側は、専守防衛は分かっていても、最新兵器の保有を希望する。それに対して内局側が専守防衛の観点から反対すれば、それは各幕側からすれば、理解されないということになろう。
専守防衛は、政治姿勢を示す言葉ならよいが、第1回防衛白書頃から軍事上の原則となってしまった。これほど軍事合理性から離れた原則は無い。また、防衛計画の大綱では、別表で装備品別の上限が決められ、硬直化している。そもそもは、経費枠と共に当時の大蔵省の要求で入れられたというが、これも状況に応じて防衛を考えることに枠を嵌め、戦略的思考を排するものだ。数年の経費枠を
定めるのは必要としても、それが硬直化して、国際状況に応じるものでなくなっていることも問題だ。こういった不合理な統制は、内局に責任があるというより、政治にある。それが組織に問題があるのではないことは明らかだろう。組織改革を必要とする報告書は理解できないし、組織改革をしても、「積極的観点の文民統制」ができるとは思えない。
マスコミには、各国の軍の中央組織は、軍人と文官が混在しているが、日本の場合、殆ど文官であることを批判する記事があった。軍の幕僚組織には軍人よりも文官が適切な職域もある。しかし内局の文官組織は、そのような職域の必用のためにあるのではない。内局に自衛官がもっと多数配置されてもよいとは思うが、それは、各国がそうだからではない。内局に配置される自衛官が、その自衛官の所属自衛隊の利益の為に働くのであれば、内局に所属する意味はない。また国会答弁やマスコミとの関係で、直截的な自衛官の対応が好ましいとも考えられない。
先に述べたように、陸・海・空自衛隊は、それぞれ別個の官庁だ。陸・海・空の対立は日本だけではない。それを防衛の必用という点から統一的に考える大臣の補佐機関が必要とすれば、日本の場合内局が働く以外にはないではないか。予算の全体枠が決まっている中で、BMDに優先順位を与えた決定などは、どうやって行われたのだろうか。
問題がないとはいわない。現在は、私が内局勤務をした頃とは、大分違っているだろうが、当時を前提に考えれば、第一に、内局は幕僚監部から上げられた
案を前提に考えるという業務形態を多少は見直してもよいだろう。次に、内局で採用される人達に、軍事と軍事合理性についてもっと教育すべきだろう。そして、専守防衛や防衛計画の大綱等の改善が、国内政治と国際情勢の変化の中でどの程度可能か、政治に理解を求める努力をすべきだろう。それが、報告書のいう「軍事実力組織が必要な時に機能する」ことだ。組織改革ではない。
以上 続く
以上 続く
虎ノ門戦略研究所 理事長 関 肇
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