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組織改革の必要性
報告書は、不祥事を起こさないだけでなく、日本の安全と独立を確保し、提案された三つの原則の改革を実行して行くためには、組織面での改革が必要としている。また、文民統制についても述べているが、これは次の章で考えたい。
何故、組織面での改革が必要なのか。それがよく分からない。「部隊、現場のレベルにおける、消極的で退嬰的な姿勢、・・・減点主義の傾向」「徹底的に自衛隊を統制しておかなければならないとの組織の在り方がこのような消極的な姿勢を助長した側面がある」との指摘があり、それが組織改革の理由の一つであるようだ。
「部隊、現場のレベルにおける消極的で・・・・」の原因は、第一に、日本としては幸いに、自衛隊が本来の任務を実施することがなかったことにある。戦争があった方がよかったというのではない。これは、どこの国でも同じだ。実力組織が実際に機能する機会がなければ、皆、このようになる。だから平和が続く時に、軍隊を如何に維持するかは大きな問題なのだ。
軍人は、一見官僚とは別の存在のように見えるが、実際には、中央の幕僚組織では官僚の典型だとこの前に書いた。彼らは、人事上は上位に扱われ、部隊でも上級の指揮官、幕僚となる。官僚の形式主義、事なかれ主義、減点主義、組織維持主義、上司には一切反対できない人事上の偏り・・・・等の弊害が生まれる。事故を恐れるあまりの消極主義もそうだ。
これも有事に機能しなくなる一因だ。第一次大戦のとき、フランスの首相クレマンソーは、戦いには役立たないと高級軍人を広く首を切ったことさえある。
この様になるのもやむを得ない一面であり、軍人自身とくに高級軍人がそれを自覚していなければならない問題であるが、組織改革などとは全く関係ない。
更に、「徹底的に自衛隊を統制していかなければならないとの組織の在り方がこのような姿勢を助長した」とある。「徹底的に統制」の弊害は、現場では、幹部の官僚主義の外に、訓練等の制約にある。一時、国有林で銃を携行して歩くことさえ禁じられていた所もあった。また、野外の演習では、一時演習を中断して空砲の薬莢をすべて回収しなければならない。これでは消極的にならざるを得ないではないか。これは「徹底的に自衛隊を統制しておかなければならないとの組織の在り方」が問題なのではなく、国家、社会の在り方が問題なのであり、政治の問題なのだ。自衛隊を日蔭者とし、消極的にしてきたのは、中央の統制というよりも、政治ではないか。それは組織の問題だろうか。「自衛隊を統制」して置く姿勢が、それを助長したというなら、それは組織の在り方ではなく、組織の運用の問題ではないか。
また、報告書は、「防衛大臣による指揮監督が、充分貫徹しない組織の実態がある」という指摘もある。これは大問題だ。指揮監督が充分貫徹しないとは、組織の在り方のためなのか。防衛省・自衛隊の組織構成がそうなっているなら、具体的指摘があるべきだが、それは無い。他の同様な組織と比較して、どこがどうなのか抽象的指摘で理解できない。新しく改革された組織では、これまでと違って指揮監督が貫徹するのだろうか。新しい組織では、何故そうなるのか説明がないし、それはもともと運用の問題なのだから、現組織でも新組織でも同じことだ。
大きな組織では、運用上の必要から中間結節が何層にもできる。人間一人に管理の限界がある以上やむを得ない。最近フラットな組織ということが言われるが、それは、コンピュウターが末端の小単位まで行きわたり、小単位の管理が上層で可能となっての話だ。演習で、小部隊指揮官が対抗部隊につての情報を彼だけが持つ通信機で受けているが、兵隊は携帯でこっそり相手部隊の隊員と情報交換しているといった現状では、フラットなど夢の話だ。
大臣による指揮監督が充分貫徹しないという問題は、官僚組織ではよく言われるが、自衛隊のような上意下達型組織では、むしろ少ない筈だ。大臣の指揮監督の内容が加工されているとしたら、なぜそうなるかの検証が必要だ。大臣には防衛についての見識が必要だ。発想があまりに恣意的で、かつそれに対する幕僚の反論が受け入れられないなら、大臣の指揮監督が徹底しないこともあろう。
情報伝達の悪さなら、既に書いたように、中間結節による加工を廃するための方策を考えるべきで、それを組織いじりで是正することはできない。
第二次大戦中チャーチルは、情報はどんなものでも生のままで上げさせるようにしたというが、それも参考となろう。しかしチャーチルには、その判断能力があったということだが。
しかも指揮監督が徹底しないから司令塔を充実するというのは、まさに工場の効率の悪さを本社組織の改革で行おうとするものであって、改革としてはどうなのだろうか。
不祥事の連鎖は平成16年大綱にいう「多機能で弾力的な実行性のある防衛力」が発揮できるか懸念があるとの指摘もある。「多機能で弾力的」との文句は、以前、防衛に関する防衛長官の私的懇談会か何かで使われていたように思う。ともかく「多機能で弾力的」とは何を意味するのか。具体的な説明が大綱でもなされていない。現在の自衛隊の姿がそのままで「多機能で弾力的」な能力を発揮するとは考えられない。運用の問題ではない。自衛隊の編成装備をどうすれば「多機能で弾力的」になるのかが示されなくては、空疎な言葉だ。それは、中央組織の問題ではない。それが発揮できるか懸念があるとして組織改革の理由とするのは、まさに「組織改革あり」の苦し紛れの言い訳ではないか。
組織改革の提言として、官邸、内閣官房の強化述べられ、三大臣会合の活用が述べられている。
一般的に大臣等の会合は、官僚が打ち合わせした結果の文書について話し合いが持たれるだけだ。最近官僚支配が非難されているが、大臣だけで会合した場合、どれだけの話し合いが出来るのか。
出来るのは選挙などの場合だけではないか。ある分野に強い政治家がいても、それは族議員と呼ばれるように、その分野の利益代表でしかないようだ。
日本自体の安全保障について、国際環境の変化と共に考えなければならいことは多い。しかし具体的にそれが政治家によって問題とされることはあるのか。防衛省は、専守防衛などで縛られ、必要な提案が考えられなくなっている。官邸等の強化がいわれても、それが現状のように形式に過ぎないなら、提案は、実効的な提案をしていないことになる。
防衛大臣を中心とする政策決定機構の充実に必要なのは、機構ではなく見識だ。機構をいじってみても、人が同じなら役には立たない。なにか勘違いがあるのだろうか。
また、統合が述べられている。統合には、現在では、統合と協働が統合と呼ばれているようだが、狭い意味の統合は、戦う場が同じでなければあり得ない。例えば、対潜戦闘と陸上戦闘を統合する意味はない。米軍で、海軍と空軍が統合されるのは、例えば陸上の攻撃目標を攻撃するのに、空軍の爆撃がよいか、海軍の巡航ミサイルがよいかの選択があるからだ。何でも統合すればよいような傾向がみられるが、間違いだ。航空機の整備工場と自動車の整備工場を統合してみても、混乱があるだけだ。
機構いじりは、この提案の問題意識について役に立たない。しかしこの提案で、例えば、参事官会議が形骸化しているというのはその通りだし、自衛官と文官を同じ場で働かせるという考えは、場合によっては、好ましいと思う。
しかし、自衛官は、所属自衛隊の利益代表でありまた情報機関だ。勤務期間が終われば、所属の自衛隊に戻り、その後の処遇はその時の勤務の評定も関係する。さらに退職後の処遇も所属自衛隊が面倒を見る。「渡り」で非難されている特別な高級官僚は、特殊な例だ。退職後悠々自適出来るような公務員はほとんどない。
利益代表ということは、内閣官房でも同じだ。出身官庁の利益代表以外の行動はできないのだ。
従って防衛力整備に関して、全体最適を図るための一元化を図るなどは、実態無視の形式論ではないか。 以上 続く
虎ノ門戦略研究所 理事長 関 肇
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