■ イラク空輸違憲判決ー政府解釈のナンセンスー
1 航空自衛隊のイラク空輸活動を違憲とする判決が、名古屋高裁で下された。原告側の違憲確認、派遣差し止めの請求や損害賠償は、不適法として退けられたので、今後の空輸活動自体には影響はない。負けた原告はこれ以上控訴せず、実質勝訴と言って喜んでいる。その通りだ。
違憲としたのは、結論とは直接関係のない傍論においてである。国は勝訴なので控訴が出来ず、違憲か合憲かの憲法判断を最高裁で争うことはできない。違憲という判断だけが残った訳だ。傍論でこのような違憲判決を示すのは、小泉元首相の靖国神社参拝訴訟で、福岡地裁や大阪高裁の前例があるが、最高裁の判決の少数意見とは性質が異なり、適当か疑問は残る。
傍論が述べる、イラクでの戦闘行動が治安活動を越えた国際的武力紛争なのか、空輸活動が行われている地域は戦闘地域なのか、空輸活動が多国籍軍の武力行使と一体化した行動であって自らも武力行使を行ったと評価すべきものなのか、これらの判断には疑問が多い。また、裁判所が統治行為に評価を下すのが適当か(国の安全保障にかかわるような高度な政治的行為、すなわち統治行為については、裁判所は判断を差し控えるべきものとされている)の問題もある。 しかしここで私が取り上げたいのはこれ等の問題ではない。そもそもの政府の考え方に問題があると思うのだ。
裁判所は、自衛隊の海外活動に関する政府解釈として、(1)憲法9条の政府解釈は、「武力行使」目的による海外派兵は許されないが、「武力行使」目的ではない海外派兵は許される。(2)他国の武力行使と一体となるような協力(輸送、補給、医療など)は、自らも武力行使を行ったと評価を受けるので憲法上許されないが、一体とならないものは、許される。(3)他国の武力行使との一体化の有無は、戦闘行動が行われ、または行われようとしている地点と自衛隊の活動が行われる場所との地理的関係、活動の具体的内容などを総合的に勘案してここに判断される、とするものである。
そして、イラク復興支援援助特別措置法は、このような政府解釈の下、我が国の活動は、武力行使に当たるものであってはならないこと、非戦闘地域(戦闘行為が行われておらず、かつ活動期間を通じて戦闘行為が行われることが無いと認められる一定地域)で実施することを規定するものと理解される、とした上で、空輸活動の実態をみると、憲法違反、イラク復興支援援助特別措置法に違反するとしている。
2 政府は、裁判所がいうように、憲法9条では、「武力行使」目的による海外派兵は許されないとしているが、憲法9条の表現はどうか。9条1項は、「・・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」としている。この原文は(日本国憲法は、占領軍が英文で示したものの翻訳だから、帝国憲法上の手続きによって制定されたとしても、原文は英文である)、「・・・・the
Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.」だ。この双方を見ると、憲法のいう「武力の行使」は、日本が自らの国際紛争を解決するために武力を行使する場合であって、日本自らの国際紛争ではない国際的平和維持のために武力を行使するではない、と解釈するのが正しいのではなかろうか。
日本国憲法の公布は昭和21年11月であり、国際連合憲章が作成されたのは昭和20年だが、国連憲章では、今日行われている様な平和維持活動は予想されていなかった。また更に日本国憲法を作成した若い法律など知らぬ米国人達は、そんなことは頭にも浮かばなかった筈だ。要するに、憲法は、今日の平和維持活動など予想もしていないのだ。
法が現実に適合しなくなれば、改正されるか新しい法が作られる。それが難しければ、商法のように慣習が法よりも優先されたりする。憲法の場合も、第89条は、「・・・公金・・・は、・・・公の支配に属しない・・・教育・・・の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」と明記している。しかし文科省は財団を作って、公の支配に属しない私立学校に補助金を支出している。明らかに憲法違反だが、政府の補助金がなければ、大学以下ほとんどの私立学校は経営出来ない。だから誰もこれが憲法違反として問題とはしない。
憲法9条の「武力行使」の解釈変更は、そんな無理をすることではない。政府の解釈の方が無理ではなかろうか。
平和維持活動について、政府はどうして無理な解釈をするのか。我が国固有の平和主義の為と思う。前回も書いたが、敗北者流平和主義だ。平和は大切だが、平和を守るためとして、我が国の軍事力のあり方や行使の内容だけを一方的に制約するのは、平和を守ることにさえならない。当時勝利した米国は、日本が二度と米国に立ち向えない様に、心まで戦に背を向けるように洗脳した。それがその後今日まで深く日本人の心を歪めているのだ。
我が国自身にとってそれが良いことなのか。人間は心で生きている。心を回復し、誇りを取り戻さないと、日本の自立はないと思う。国際貢献だけでなくその一つとしても、平和維持活動における武力行使の制約を外すべきだ。
戦争が軍隊だけで戦われる時代は、第一次大戦前に終わった。前線と後方は一体化している。戦闘地域と非戦闘地域の区別などナンセンスだ。平和維持活動における武力行使を認めれば、こんな区別をする必要はなくなる。また、武力行使の一体化論などという非現実的な法匪的発想をする必要もなくなる。
以上
虎ノ門戦略研究所 理事長 関 肇