■ 「あたご」事故報告の混乱

 イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」との衝突事故は、漁船の乗が員二名とも行方不明という痛ましいものだった。事故の原因と詳細は、事故調査の結果明らかになるだろう。
 問題は、事故後、防衛省の発表が二転三転したことだ。そのため、国会、マスコミ等で非難され、防衛省の内部体制まで問題とされた。事故直後の報告だが、通常、組織の各段階を通じて上部機関に上げられる。この事故では、まず「あたご」の上級機関である護衛艦隊司令部に報告され、次に、護衛艦隊司令部から自衛艦隊司令部に報告される。そして自衛艦隊司令部から、防衛省内の海上幕僚幹部に、そして海上幕僚幹部から統合幕僚会議や内局に報告され、大臣、総理等に報告される。
 事故報告は形式が定められていると思うが、組織の各段階で、報告が機械的に上司や上級機関に提出されるのではなかろう。報告に対して担当者が疑問を持てば、報告を提出した直下の部署に尋ねる。直下の部署が分らなければ、そこから又、その直下の部署に尋ねることとなる。それは、秀才であるほど、色々尋ねたくなるだろうし、その上司も色々質問することだろう。
事故では、最終報告に大きなバイアスがかかること無いだろうが、戦争における情報では、必ずしもそうではないようだ。ウインストン・チャーチルが回想録に書いていたと思うが、情報は、生の情報から首相に上がるまでの間に、専門家の手で解釈される。そうなるとその情報は、悪意はなくとも操作される結果となり、首相として必要な事実が逆に分からなくなってしまう。チャーチルは、生の情報が不完全であり、矛盾したところがあっても、そのまま報告するようにさせたと書いている。 
事故の場合、保身のため事実が操作されて遅くなるということは、まさか無いと思うが、多くの人が「どこがどうなった」など聞いている内に時間がかかり、防衛省への報告が遅くなる。防衛省は、報告の時間短縮を定めたというが、最初の事故報告をそのまま直ちに上申すれば、時間短縮は容易な筈だ。
事故で何がどうなったかは、現場にいた人でないと分らない。艦艇事故の場合、艦艇乗組の経験がある人なら、どんなことがあり得て、どんなことがあり得ないかは、ある程度分かるだろう。だから逆に細部を聞きたくなるかもしれない。しかし当事者でなければ、分らないことは分らない。当事者でも事故の分析をしなければ分らないこともある。また、艦艇乗組員でも、操艦をする人か、機関科の人か、ミサイル要員かで分かることは違う。
 本来、事故については調査担当者又は調査団を作り、調査できた範囲内のことを必要に応じて、広報担当者が発表すべきである。色々な立場の人がそれぞれ話すべきではない。色々違ったことが発表され、聞くものを惑わす結果となったのは、組織としては理解できないところだ。
 防衛省では、大臣、次官、報道官、統合幕僚長、陸・海・空の各幕僚長が定例の記者会見をする。その外、担当の局長、防衛部長、自衛艦隊司令部、護衛艦隊司令部など、記者は、訊ねまわる。これらの人達は、事故の内容について報告に基づく知識と自分の専問知識しかない。一方、マスコミの記者達は、事故現場近くからの断片的かつ一方的情報を持っていて質問をする。それは想像でしか答えられないことが多いだろう。質問に対して各人が同じことを答えるべきだが、記者の質問に愛想の良い答えをしようとすれば、違ってくる可能性がある。
本来事故については、調査が完了するまでは、誰でも、簡単な同じことしか答えられない筈だ。記者達はそれでは満足せず、そんな回答に対しては、罵詈雑言を浴びせるかもしれない。捜査機関なら現在捜査中だから話せないで通用する。防衛省やその他の官庁は、現在調査中では通らない。今日それだけの権威が、特に防衛省は、無くなっている。
 また、自衛官を含め要職にある人は学校秀才だ。質問に答えないことは、彼らの知的成長の背景からすると、耐えられないことかもしれない。事故の直後、操艦をしていた航海長を海上幕僚監部にヘリで召喚し、海上幕僚長以下が質問し、更に大臣、事務次官までが会って質問をしたという。ちょっと考えられない話だ。艦の航海長に話しを聞くのは、護衛艦隊司令部の調査担当者や事故調査委員会であるべきで、トップの人達が自ら聞くというのは組織としてはおかしいのではないか。自分で聞いてみたいというのは、調査担当者等を信頼しないことだし、自分で知りたいというのは、学校秀才の欠陥を現しているのではないか。
 また、今日の防衛の任にある人たちは、当然ながら修羅場の経験がない。リデルハートが書いていたと思う。軍人は政治家や実業家に比べて修羅場の体験がなく、突然戦争に立ち向かわなければならない。しかも戦争という国家の運命がかかり、多数の生命を賭ける、他にはない大変な修羅場だ。いくら訓練を積み、演習をしても、現実は全く違う。修羅場の経験があれば、マスコミの勝手な質問に対して悠然としているだけの心構えがあると思う。そんな経験は現実には持てないが、有事に備える心構えがあれば、同じと思うというのは酷だろうか。
 今日マスコミの影響力は大きい。あるマスコミに、驚くような机上の空論というべき批判記事があった。マスコミの一例として、挙げてみよう。某紙の特別編集委員なる人の文だ。
それは、旧軍の立派だった人達の例をひき、海上自衛隊員が弛んでいると言いたいようだ。「潜水艦『なだしお』の事故では数人の乗組員が海に飛び込んだ。今回は甲板が高すぎたこともあろう。飛び込む乗組員はいなかった。救助艇が下りたのは、事故から14分後だった。」として、現自衛官のモラルの低さを批判している。「なだしお」の場合、昼間の事故で、海中に多くの人が浮かんでいた。「あたご」は、2月19日、朝4時7分の衝突だ。真っ暗だし、遭難者は何処にいるか分らない。真冬の海だ。海面まで15メートルぐらだろうが、服を着たまま飛び込んでどうなるのだ。新たな遭難者を生むだけだ。机上の空論の典型だ。こんな人が他の人の人格を批判しているのだ。しかし、こんな的外れな批判でも、海上自衛官が問われたら、悪かったとの思いが心の底にあるから、頭から否定はしないかもしれない。「そうですね」くらいは答えるかもしれない。そうすれば、記者は自分の意見が正しかったとして、そこからまた新しい非難が展開される。特別編集委員ですらこの通りだから、若い記者達がどんな質問をするかは想像の外だ。
 なを、「なだしお」では、飛び込んだ乗員はいなかったと思う。当時の記憶では、海に浮かんでいた婦人が、目の前を通り過ぎて行く「なだしお」を見て、乗員が飛び込んで助けてくれなかった、と文句とを言っていたという記事があった。「なだしお」の海面からの高さは3〜4メートルぐらいだろうが、船腹が丸く膨らんでいるから、飛び込むことは出来ず、滑り落ちることとなる。潜水艦の場合海中に落ちると、進んでいる艦の下に巻き込まれ、スクリュウに引き込まれる可能性が高い。滑り降りることはできないという。
 また上の記事は、続いて、「救助艇が降りたのは事故から14分後だった」とも非難している。衝突一分後、救助開始命令を出し、二隻の内火艇を海上に降ろし、14名で救助活動を行ったという。海上自衛隊の規定では9分ということだが、夜間の航行中である。5分超過した。それがそんなに遅れたことになるのか。わざわざ取り上げ、非難すべきものなのか。私には、言いがかりの様にしか思えない。一隊員はその際小指を折ったという。
 これはマスコミだが、国会でも細かい断片的知識をどこからか得て、質問がなされる。調査中という答弁では納得されない場合が多い。民主党は、防衛大臣の退職を追求しようとしていた。犠牲者の親から退職しないでくれとの陳情があり、民主党は、追及は国民の批判を浴びると考え、取りやめたとの記事もあった。民主党の追求は、防衛省に問題があったかを調べ、正すためではなく、単に自民党を攻撃するためだけではないか。政党が権力を奪取するため力の限りを尽くすのは当然だ。しかし政党の行動がその為だけというのでは、政権を取る資格があると言えるだろうか。
 なお、多くの元艦長という人が、今回の事故をマスコミで非難した。彼らには、海の男には、武士の情けがないのだろうか。マスコミは話を聞いても、その一部、センセイショナルになることだけしか書かない。それを割り引いても、元艦長達の非難は、私には受け入れられない。
 それから、漁船、「清徳丸」の行動にも理解できないことがある。私のような素人が、勝手な想像で述べるのは、上に書いた特別編集委員と同じこととなるかもしれない。しかし、一万トンの艦が航走してくると、簡単にスピ−ドを緩めたり、方向転換したり出来ないことは、漁船の乗組員は知っている筈だ。方向転換できるのは漁船の方だ。「清徳丸」は、船の中ほどに「あたご」から突っ込まれたようで、操舵室部分が抜けおちて沈没し、船首と後部の部分は浮いていたという。どうしてそんなことになるのか。大きなトラックが赤信号を無視して突っ込んでくるのを見れば、交通法規違反であろうとなかろうと、通行人は身を避けるだろう。一万トンの「あたご」は、漁船からみるとビルのようなものだ。どうして真中に突っ込まれたのか。そして漁船の二人は行方不明なのか。操舵室もろとも海中に没したのか。
 海上交通法規に従って、「あたご」のミスは裁かれるだろう。亡くなった二人はお気の毒だが、法規は法規として、どうしてああなったのか割り切れない思いがするのだ。
 今日の社会では、マスコミや野党対策が、正々と行政を進めるための条件でもある。防衛はあらゆる面で、社会的批判が強いから、その点には力を入れる必要があろう。事故の際にマスコミ等にいかに対応するかは、重要な問題だ。防衛省はこれまでの多くの経験がありながら、それを学んでいるとは思えない。多くの事故があり、不手際な対応のため犠牲となった人々も多くいる。事故への対応を分析し、組織として何をすべきか、自衛官、文官を問わず、教育して行く必要があるのではないか。有事やそれに関連する事態が本来の任務であるとしても、その国内広報も民主主義国家にとっては大切なことだ。
 現在、日銀総裁の交代をめぐり、与野党で確執が続いている。国際的な金融不安が心配されているのに、我が国がそんなことでよいのか、金融問題が分らない国民も、皆心配している。ところが、今回の事故が日銀総裁交代に関する与野党の折衝の妨げになったとの記事もある。事故が妨げになること自体首を傾げるが、野党は、何でも与党攻撃の材料にするというなら、事故そのものはともかく、事故対応の不手際が問題となったのでは、防衛省にとっては、あまりにも不毛ではないか。過去から学ばないというのは、日本人の特徴という研究(「撤退の研究」森田、杉之尾 日本経済新聞社)もあるが、それでは、未来はないというべきだ。
以上
虎ノ門戦略研究所理事長 関 肇