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■■■海上自衛隊の情報流出と日本の平和意識■■■
平成19年12月14日

 イージス艦情報漏洩の発端となった海上自衛隊3佐が逮捕された。この3佐が同僚に資料作成のため特別防衛秘密の情報ファイルを渡し、それが別の教官に流れ、教官はファイルを学生にコピーさせ、更に共用パソコンに保存されたりして、別の隊員にも拡散し、最後には中国に流れた可能性がある。大変な問題だ。隊員の間を流れる間、彼らは重大な国家の秘密漏洩をしているとの意識は無かったに違いない。米国は日本の秘密保護に重大な懸念を持ち始めている。
 この事件が発覚した頃、警察官が、秘密の捜査資料を勉強の為として大量にパソコンに蓄積し、それがウイニーを通じて流出した。いずれも、コンピュウター・ファイルへの異常ともいうべき資料蓄積癖と秘密保護意識の欠如だ。「秘密」と表記された紙資料なら、取扱いが慎重にされたと思う。コンピュウター・ファイルを取り扱う者の感覚の異常さに驚く。これは他の官庁にも広がっているのではないか。
 この問題は、以前にも述べたが、秘密保護に対する日本人の意識の低さが前提にある。それは、国民全体に対する全般的な秘密保護法がないこと、そして法により特に定められた秘密保護は次の二つだが、これも刑罰があまりに低いことだ。米国から入手した装備品に関する特別防衛秘密の漏洩に対しては最高10年、自衛隊の装備品に関する防衛秘密に対しては最高5年でしかない。各国共秘密とされる事柄は広く、漏洩に対しても最高死刑の罰が科せられている。

 先般、中国の艦艇が我が国を訪した。清国艦艇の訪問以来初めてとして大いに歓迎する向きもあった。この訪問で海上自衛隊は、中国の依頼により中国士官に我が国のイージス艦を見学させようとした。イージス艦の中心装備は米国の供与である。米国の抗議で中止となり、国産装備の艦艇見学に変更した。  
 防衛省は、秘密の機器を見せない、或いはその場を通り過ぎるだけなら秘密漏洩にならないと考えたのだろうか。しかし艦艇の構造、武器の形状、部屋の配置だけでも情報となる。特に米国や日本の艦艇に追いつこうと開発に必死の努力をしている中国にとっては、それだけで重要な情報だ。少なくとも防衛省は判っていたはずだ。
 中国の要望があったとしても、イージス艦を見せるというのは信じられない。「信じられない」からする想像だが中国との親密な政治筋から要請があり、断れなかったとすれば大問題だ。大臣も承知の上の筈だ。しかし仮にそうであっても、法律を盾に保全の主張が出来なかったのか。それは秘密保護意識が薄弱だからではないか。
 想像で書くのは人格の低劣を意味するが、敢て書くと米大使館はいかにしてこの問題を知ったのか。米国は日本の情報収集を広く行っているが、その結果ではあるまい。米海軍と海上自衛隊の間は大変親密だ。海上自衛隊の幹部がこれは大変と思い、米軍に知らせたとすればどうか。国益は守られた。だがこのようなことが平気で行われているとすれば、日本の国家はどうなっているのか。こんなことが当たり前となると政治優先の原則はどうなるのか。大東亜戦争の失敗を学んでいないのか。
 しかし、政治は政治の名の下に何でも軍事に押し付けれるとするのは間違いだ。政治は軍事の論理を知らなければならない。それがないのは、却って政治優先の原則を崩壊させる。また、政治が選挙民を口実に国民の名で何でも軍事に押し付けれるとするのも間違いだ。防衛は国民を守る為にあるが、国民は残念ながら軍事を知らないのだから。

 話がそれたが、秘密の保全は、安全保障の決定的一面だ。それが希薄というのは、安全保障意識が偏っているからだ。それは日本独特の平和意識から来るものだ。平和は大切だ。しかしだから自分が、家族が、国家が、どうなってもよいということではない。そういう思想的立場もあろうが、日本人はそこまで徹底してはいない。日本の安全は必要と考えている。世界は多くの利害が錯綜しており、武力による対立抗争は歴史の日常だ。だから安全保障が大切とは誰でも言う。しかし、日本人は、自分が何もしなければ相手は平和で答えてくれると無意識的に信じるような、特殊な平和意識を持っている。そのため安全保障に何が必要か徹底しない。一国平和主義はその典型だが、安全保障のため或いは危険対処のために血を流す場合もあると、政治家が主張できない。そんな主張をすれば選挙で負けると考えるからだ。サマワに自衛隊を派遣した時自民党が危惧したのは、隊員に何か起これば、次の参院選に負けるということだった。敗戦以来の国民意識がそうなら、政治は国民意識の啓蒙に取り組むべきだが、選挙で国民を啓発するかよりも、選挙に負けないためには何を言ったらよいのかになる。その判断は前回の参院選のように必ずしも正しくないと思うのだが。政権交代の殆どない日本において、政権党が選挙に負け権力の座から落ちることは、色々な面で耐え難いのだ。自民党がかつて政権の座から離れた時それを痛感した。例えば官僚は説明にも来なくなる。といっても、参院選での敗北がインド洋での給油を停止させたのだから、それも無理からぬ面もある。

 中国は日本にとってどういう国なのか。友好は結構だ。政治的に、経済的に友好関係を深めるのは大切だし、また軍事的に交流することもよいだろう。しかし政治や経済の友好も、特に中国の場合は利益のために過ぎない。そして、軍事的交流は政治的友好や経済的友好とは本質が異なる。
 今は死語かもしれないが、「一旦緩急あれば」という言葉がある。中国と友好関係にあると日本が思っていても、尖閣列島を巡って軍事的衝突が起こるかもしれない。それは戦争とは呼べない小規模かもしれないが、軍事的敗北は、外では取り戻せない。
 軍事的交流を深めるとしても、政治や経済の友好とは本質的に異なることが認識されないのか。これも日本の平和主義の為だ。友好というと裸の付き合いなんてことは、国際関係ではありえない。その理解を防衛で働く者のみに求めるのは間違っている。政治家や国民の意識がそうなることが必要だ。自衛隊は軍事のプロであっても、その防衛意識は国民全体の意識の上に成り立っている。国民の意識を離れてプロだけの防衛意識は存在しない。国家の安全は最終的には自国でしか担保出来ないことが理解されなければならない。そうなれば秘密の保全が如何に大切であるかが理解されるだろう。
 防衛に関する我が国の歪み、それは、自衛隊の兵力の規模等を問題とする以前の問題だ。秘密保護法の欠如もそうだが、専守防衛、自衛権発動の三原則、集団的自衛権問題など世界の軍事常識から逸脱している。

 前政権では戦後レジームからの脱却が言われた。安全保障についてもそれが必要だ。世界は冷戦後再び大きく変化しようとしている。今までのような米国依存では、これからの我が国はどうなるのか。日本は、金を儲けて使うだけでは、国際社会で生きて行けなくなる。レジームとは制度のことだが、国家のあり方の基本は心であり、精神だ。しかしそれが混迷している今日、制度の改編が早急に望まれる。

 最後に、経産省では、軍事転用可能な民間技術の増加に伴い、秘密保護法の検討を始めたという。大いに結構だ。しかし何故防衛省の共管とならないのか。軍事転用は、防衛省を抜きには判断できない。省昇格は名のみだったのか。守屋事件の不名誉からの挽回のためにも、防衛に必要な問題に積極的に取り組むべきではないのか。
                                      (以上)

虎ノ門戦略研究所理事長   関 肇

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