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■■■高校の必修のがれ■■■
平成18年11月08日

 呆れたとしか言いようがない。よくもまあ問題が続いて起こるものだ。しかも国家にとって基本的な大問題だ。高校で受験に関係ないから必修科目を生徒に履修させていないのが、41都道府県で402校(10月28日報道)もあったというのだ。286校が教育委員会に虚偽のカリキュラムを提出しており、更に、大学や企業には未履修の科目に評定を付けるなど虚偽の内申書を提出している高校もあるという。

 ちょうど「いじめ」による自殺とそれに対する学校、教育委員会のいい加減な対応が大きな問題になっている時だ。安倍新政権の掲げた「教育再生」が米国によって導入された戦後教育システムに終点を打つところまで来ているのは明らかだ。教育に関する国と地方公共団体の関係、米国により導入された教育委員会のあり方、校長の権限、教師、PTAなど教科書だけでなく、理念、制度、全てが問題だ。そのなかには今度の問題の中でで始めて知ったが、「国際化の進展に適応する」ということで、日本史を選択にし、世界史を必修にしたという。こんな単純な文部官僚の頭脳構造の改革も必要だ。国際化に対応するには、自国のことを知らなければならない当然のことが見失われている。あれだけ官僚は外国留学をして何を学んできたのか。

 しかしここでは、「必修のがれ」について述べて見たい。まず、これは学校側の行った不正であり、それが組織的に教育の場で行われたことだ。法的に不正は不正として糾弾され、責任が課されねばならない。それだけでなくその重さは法律上計ることは難しいかもしれないが、問題は、生徒に「正直」という徳目が大切ではないと教える結果になっていることだ。日本人は、今や死語となっているが、かつては自らを「神州清潔の民」と誇ってきた。清潔とは、肉体の清潔だけではない。確かに今でも外国に行くと、日本人のことの外に清潔好さが自覚されることがあろう。しかし「神州清潔の民」とは、本来精神の状態を指しているのだ。清潔の大事な要素は正直だ。正直は、お互いを信頼できるという団体、社会のあり方にも関係する。

 ある中国人の本に、「中国人は一人では竜だが、三人よると豚だ。日本人は一人では、豚だが、三人では竜だ」とあった。武士であれば日本人は一人でも竜だと思うが、三人集まると云々は、他人が信用できるか、できないかによるのだろう。最近出版された若宮清「中国人の面の皮」には、清朝末期に李宗吾が書いた「厚黒学」が著者の中国人との経験を説明し、納得させるものだったと書かれている。李宗吾は、自国の歴史の研究から「中国人は「限りなく面の皮を厚くし、徹底的に腹黒くなれ。そうでなければ、成功できない。ただその際表面上は、仁義、道徳の衣で覆っていなければならない」と書いているという(確か「厚黒学」はゴマ・ブックで出版されていたと思うが、手元にはない)。これは正直を美徳とするのとは正反対だ。三人よると豚となる所以だろう。
 教育水準の高さなど多くの要素はあるが、明治維新後の発展、又戦後の荒廃の中から少なくとも経済だけは奇跡の発展を遂げることができたのは、正直という徳目の存在があったからと思う。日本人の職人的正確さも正直がベースにあるのでななかろうか。逆に、最近のかつての日本からは信じられない色々な不祥事も、教育の場での「正直」の無視が続いてきたのかもしれない。

 次に、履修不足を取り返すには補修が必要だが、50分の補習授業が200回以上必要となる高校が5校あり、ある高校は350回も受けさせなければならないという。これに対して、結局、今回限りということで、履修不足が70時間以下の生徒に対しては70時間の補修または約50時間の補修とリポートの提出、70時間を越える者に対しては、70時間の補修とレポートの提出ということで救済することになった。
救済措置を行なったのは、特に与党から、生徒の責任ではないし、かわいそうという圧力が強かったという。それでよかったのだろうか。真面目に必修科目を履修してきた他の学校の生徒はどうなるという意見もあが、私はかわいそうという発想が甘やかしだと思う。団体に所属すると自分の責任では全く無いのに不利益をこうむる場合もある。会社役員の不正や失敗で会社が倒産し失業する人などその際たるものだ。社会とはそういうものだということを高校生でも知るべきだ。そこで彼らがどう考えるかだ。今後の自分はどう生きるべきかを考えるだろう。
 今回の問題は、大学の受験科目との関係や週5日制となり、授業時間が短縮されたことがある。これらは総合的に検討されなければならない問題だ。今後必修科目の削減を考える考えもあるようだが、高校の必修とは何か、大学受験の科目とは何かを考えない議論だろう。

 最後にこの問題から離れるが、教員について少々述べてみたい。教員の質の低下が言われるが、同時に教員の権威の回復が問題とされなければならないだろう。それは親の問題だ。小学4年だかの女子生徒が先生から叱られて、親が教育委員会に言うぞと脅かしたという。子供を叱ると親が文句を言ってきて、校長を始め学校は先生を守らない。教育委員会やPTAが怖いのだ。これが教育の環境だろうか。体罰だって必要な場合もあるのだ。戦前は、教師は聖職と言われ、師範学校は権威のあるところだった。教育改革はその辺も考えてもらいたい。

(以上)

虎ノ門戦略研究所理事長   関 肇

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