

■虎ノ門戦略研究所
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■■■富田メモ■■■
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平成18年9月30日
7月20日の日経新聞に掲載された「富田メモ」は、わが国にどんな影響を与えているのだろうか。富田メモに対する小泉首相の反応は少々おかしかったが、8月15日首相の靖国参拝には影響を与えなかった(首相の参拝に私は胸を撫でおろした)。小泉後任の選出選挙においても影響を与えなかった。富田メモを利用しようとする一部のマスコミや政治家はいたが、三人の総裁公選候補者には日本人としての良識があったといえる。
それなら、影響はないといってよいのか。天皇陛下に靖国参拝をして頂きたいというのは良識ある人たちの願いだし、中国とは関係なしに日本の国家と靖国の関係は重要な問題として残っている。富田メモをどう考えたらよいのか。
自分の考えを述べるには、天皇の御心を推し量ることも書かなければ十分でない。天皇の御心を慮りはしても、自分の解釈が正しいと主張したり、議論したりすることはさし控えるべきだと私は思っている。例えば、天皇の御製の解釈はこうだと我見を主張することが憚られるのと同じだ。しかも私は皇室の問題には素人だ。これらを承知の上で、自分はどう考えるかをまず述べてみて読者の御批判を乞うことにしたい。
まず、問題の概要を整理しておこう。これまで、昭和天皇が靖国神社に参拝されなくなったのは、故三木総理が参拝を私的なものと発言したことと、法制局長官も国会で公的参拝は憲法に反すると発言したりしたため天皇陛下の参拝が困難になった(天皇に私なし)ことによるという説があった。他方、東京裁判のA級戦犯が祭られたため天皇は参拝されなくなったとの説もあった。しかしながら、木戸日記等色々な資料で昭和天皇が東京裁判を正当なものとされたことはなく、またA級戦犯を特別扱いされたこともないのは明らかだ。
首相の靖国参拝反対と胡錦涛に媚を売る一部日本政治家の声が喧しい政治の時期、首相交代の時期、まさにそのときに日経新聞に富田メモが公表された。メモは富田氏の残した手帳に貼り付けられていたもので、「私はある時に A級が合祀され、その上松岡、白鳥までもが・・・中略・・・だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」とある。
このメモについては、天皇のお心を知る第一級の歴史的資料とする意見がある一方、本当に天皇の御言葉なのか、その信憑性を疑う意見まで色々ある。天皇御自身によるものではなく、メモの日付の少し前に勇退された徳川元侍従長が任を離れた自由な立場で記者会見された。そこに富田氏が長官として同席してメモをとっていた事実があり、その内容がメモとして残されたのではないかという意見もある。
A級戦犯といわれる人達のなかには、天皇が信頼された人達も含まれており、A級と一からげにする言い方を天皇がなされる筈がないというのは極めて妥当だ。また靖国神社に参拝されなくなった後も、勅使の派遣など靖国神社に対して深い思いを持たれていた事実もある。
私はマスコミを通してメモについて知りうるだけで、メモの信憑性について論ずることができる立場にない。そして二つのお気持ちのどちらが本当のお気持ちかなどを論ずる気もしないし、また天皇の御言葉を公と私に分ける気もしない。しかし、私は富田メモに記されている御言葉が本来の大御心とは違うのでなないかとの気持ちをもとに天皇と日本の国家について私の考えを整理してみたい。
繰り返すが、私は国学について専門知識はないし、この問題に関する日本の伝統的学問についての教養は残念ながらない。日本には西欧合理主義の浅薄な表面だけを教養として取り入れた側面があり、私も残念ながらそのように育ってきた典型的日本人の一人だと自省しているが、国際的常識はあるつもりだ。世界の各国で行なわれている民主主義の内容はそれぞれ違うというような常識である。
日本が西欧近代的国家となったのは明治維新後で、それ以前は時代により其々異なった政治形態をとってきた。世界各国もがそれぞれの歴史を持っている中で、日本固有の特徴は近代的国民国家の観念のない時代から一民族一国家であり、その精神的権威の中心は天皇だったことである。武家の政治権力が最も強かった徳川幕府の時代でも、将軍になるには天皇による将軍宣下の任命の儀式が必要だった。個人としての将軍候補が真実欲したものかどうかはわからないが、それがないと統治が安定しなかった。如何なる団体の存立にも、多かれ少なかれ精神的権威の存在は必要だ。しかし国という権力で統治し、刑罰や税金を課すところでは、世界の何処の国家でも精神的権威の存在が必須で、それが権力の正当性を示すのだ。日本では歴史的に続いた天皇がその権威だった。各国では多くは宗教がその中心だったし(国王は宗教の保護者だ)、中国における易姓革命という発想も正統性保障のためなのだ。
天皇は天照大御神から国家、国民繁栄の神勅を賜り、そのお祈りが最大のお勤めである。日本のように宗教の絶対性が希薄な国では、天皇しか統治の正統性を保障できなかった。柿元人麻呂には天皇は神であるとの歌があるし、その後も歴史上同様な思いの表現は数限りない。具体的に意味するものは時代によりニュアンスが違うだろうが、基本とするところは現代に通ずるものがあろう。戦前天皇は現人神といわれた。当時は天皇が人間ではない神であると教えられ、信じられてきたとする人々は今でも多い。神の概念が日本と絶対神の国々とは違うことを知らない占領軍は天皇の人間宣言を発表させた。これについては当時から心ある人は冷笑した。戦前、庶民でも陛下が人間ではないと思っていた人はいなかったろう。天皇が神であるとして天皇に超能力や奇跡を求めた人が戦前も歴史的にもいただろうか。
歴代天皇は、神の神勅がこの世で行なわれるようお祈りすることが最大のお勤めとして日夜祭祀を行なわれてきた。国家、国民繁栄の神勅が実現されることを純粋で真摯に祈られる国家を代表する唯一人であることを現人神と表現したので、現代でも同じと私は考える。日本人はあまりに日本的であって世界で特異な存在だ。国際政治を知らない人は、良心的な人でも靖国問題で隣国が強く主張するなら、妥協してもよいのではないかなど安易に感じてしまう。こんなのは国際的には異常だ。一神教的精神の純粋さや強靭さがなく、神道は宗教か習俗か分からないところがあるが、日本人には、日本人の精神にとって何が大切であるかわからない人が多いように思える。その特異な日本で日本が一体であり続けることのできるのは天皇の存在によるものだ。グローバリズムは避けられない方向だろうがグローバリズムに対応するには、一面日本のアイデンティティーが保たれる必要がある。それは天皇に対する思いだ。
政治の権力闘争の場では天皇の権威を味方に付けた方が圧倒的に有利だ。錦の御旗は我にありとしたがるのは権力闘争の場ではあたり前で、権力闘争しか考えない俗人は天皇の利用を如何にするかを考えた。だから維新当時には天皇を考えられないような言葉で呼んでいることもある。明治憲法は天皇をそのような政治闘争の場からは切り離した。天皇の御決定は大臣の輔弼によってなされることとなっていた。その考えには私は賛成だ。現憲法の象徴制も同様であるが、敗戦時のように政治が決定できない時に天皇が御決断されることが想定されていず、政治との切断ばかりが強調されているのは問題だ。
本論に戻ろう。通常は公的発表以外には表明されない天皇の御意思が明らかにされた時はどう考えるかである。仮に富田メモが天皇のお心だとしたらどうするか。現在でははやらない言葉だが「忠」ということをどう考えるかということだ。天皇に忠であろうとすればどうしたらよいのか。
忠は武士社会で強調された言葉と思うが、決して主君に盲目的に忠実であることが主張されたのではない。主君に媚びる者は「佞臣」として嘲られた。忠というのは盲目的に従うことではなく、自己の良心に従って君主に尽くすことであり、君主の意に反しても諌争するのが忠であると「葉隠」などにも記されている。富田メモについても私はこの態度をとりたいと思う。まして富田メモについては、正反対の事実が天皇の御意思として表明もされているのだから。
それなら如何なる場合も自分の良心に従い、良心に忠実で諌争を貫くべきなのか。そうではないと私は思う。国家としての最終決断が天皇の名で示された場合、例えば戦争の場合などは、反対であっても従うべきだろう。先の戦争で特攻隊で散っていった学徒動員の人達には、戦争を指導する政治家や軍人に批判を持ちながら、日本を愛するがゆえに命を捧げるとの遺書もある。それが国家の最終決断が示された場合の天皇に対する忠だと思う。
しかし、国家としての最終決断が行われたのではない富田メモのような場合、諌争するといっても我々は陛下に直接申し上げる機会は全くない。それならどうすべきか。自分の考えをできるだけ公表すべきか。私はそうは思わない。心の中で考えているだけで、それを問題とする人がいれば自分の考えを話す程度の慎みが必要と思う。それが皇室を敬うことの一つであり、先人たちの取ってきた態度ではないかと思うのだ。更に特に現代の様にいたずらな批判が面白がられる時代に、天皇の権威を低めるような行為は日本のためにならないと思う。
富田メモに関する識者の意見の多くがメモの信憑性を問題としたのは、そのような慎みがあったからではないかと思われる。
最後に、非礼を承知の上で昭和天皇の御心を推し量ってみる。晩年、御病気の昭和天皇がしばしば富田長官のところに来られ、色々な話をされたとの記事もあった。皇后はご病床にあり、皇太子は次の天皇であって、個人的感慨を話されるお相手ではなかろう。年取られた天皇が如何に孤独であられたか。戦争に対する法的責任は憲法上ないが、戦争に対する責任を最も深く感じておられたのは天皇と思う。皇祖皇宗に対する敗戦の御責任だろう。そのような重荷が深く心にあられ、お言葉にだすこともできず、しかし年をとられれば何かを話して気を紛らせたいとのお気持ちは大きくなられたと思う。それが信頼できる人間と思われた富田長官のところによく来られて話をされたということではないかと思える。それにしても、長官夫人が公表した理由は何であれ、あの年齢の人で陛下に仕える人の夫人として、慎みも教養も全くないのには恐れ入る。これこそが現代日本人の教養の問題としてもっとも大きな問題の一つだろう。
(以上)
虎ノ門戦略研究所理事長 関 肇
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