

■虎ノ門戦略研究所
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■■■安保条約を改定しよう■■■
(その1)
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平成18年5月25日
1. はじめに
沖縄駐留米海兵隊のグアム移転費用約100億ドルについて、当初米国は日本に75%の負担を求めていたが、約59%ということで決着した。その後、ローレス米国防副次官は在日米軍再編に伴う日本側負担額がグアム移転も含めて総計260億ドル(約3兆円)となると発言して日本側を驚かせた。後にローレス副次官は、260億ドルは充分詰めた数字ではなく、日本の負担が約59億ドルに止まるものではないことを米国内に説明するための数字だと釈明した。
日本で政府高官が数字を挙げる場合は充分省内で詰め、更に関係省庁とも調整した上での数字となる。したがって、一旦数字が出れば正確だし、省庁間で違うという話はないが、数字は中々出てこない。米国では省が違えば異なる数字や説明がなされてもあまり問題にはならない。
この話は発言の真意はともかく、日米官庁文化の違いを表すものでもあろう。もともと移転費用100億ドル自体詰まったものではないようだ。日本の要望を受けて米国が政治的決断で移転を決定したのだから、海兵隊がこれまで移転の細部を検討していたとは思えない。移転費用は、移転先の細部に対する海兵隊の要望があり、それを受けてコンサルタントが設計を行い、そこで始めて費用が算出できるものだからだ。そのような手続きが行われているという報道はまだない。金額の細部を問題とすることはできないのではないか。さらに、日本企業と米企業とがどういう関係で移転事業に参加するのかとの生々しい話もある。日本では入札は原則として競争入札とされているが、これなどはどうなるのだろうか。
約59%負担の細部は別として、日本は米国に守ってもらっているのだし、沖縄の負担が軽減されるのだから、ある程度の経費負担は当然だという議論が多い。他の国も同様なケースでは相応の負担をしているというから、話の筋は通っているように見える。しかし、米軍が米国領のグアムに再配備するのに、なぜ日本がそんなに金を払う必要があるのか、親米の人ですら釈然としない気持ちがあるのではないか。
グアム移転費用の分担割合を決めた後、日米は在日米軍再編の最終報告に同意した。さらに、日米防衛協力のための指針(1997年)を改定し、新たな枠組みを検討することで合意したと報道された。ラムズフェルド国防長官は当初、この防衛協力指針を改定する必要はないと言い、日本の外務省にも改定に躊躇する考えもあったが、日本の要望に歩み寄ったとされている。
この際、軍事同盟である日米安保条約の実体とは何なのか、今回の米軍再編を中心に整理して見たい。
比較のため、NATOを見てみよう。冷戦中、ソ連はSS-20という射程4000キロの中距離核ミサイルを配備した。西欧諸国は、SS-20が発射された場合、米国が米大陸防衛用に配備した国内の大陸間弾道弾や潜水艦配備のミサイルで反撃してくれるか疑問とした。すなわち、米国が国土防衛用のミサイルでソ連に反撃すると、米本国がソ連の長距離核ミサイルで反撃されるかもしれないからだ。米国はそれを恐れてソ連に反撃しない可能性があり、それでは西欧の抑止力にはならないと心配された。そこで有名なNATOの二重決定が行われ、米国に核弾頭搭載のパーシング-2と巡航ミサイルを西欧に配備してもらうこととし、同時にソ連と中距離核ミサイル配備の相互中止の交渉をすることとした。その論理は、万一ソ連がヨーロッパに向けてSS-20を発射したとして、ヨーロッパ配備のミサイルによって反撃するならば、たとえそれが米国の核ミサイルであっても、米本土が攻撃されることはないだろう。そうなれば米国の反撃が可能になるから、結果的に西欧諸国の抑止力になるというものである。
西欧と米国の関係でさえそうなのだ。軍事同盟の本質はこのようなものだ。より大きな危険に対抗するためには、自国内に米国の核ミサイル配置を容認してでも冷徹な同盟が必要なのだ。
これと対照的なのはわが国政治家の姿勢だ。最近の例だが自民党の福田康夫氏は総裁選出馬の意欲を見せ、アジア外交の建て直しを急務として、外交ではハート・トゥ・ハート(亡父福田元首相による東南アジア外交の福田ドクトリンの柱)が大切、と語ったという。その心は、首相の靖国参拝批判であろうが、しかし、外交の基本がハート・トゥ・ハートといった甘いことを言うようでは国家の指導者としては不適格だ。たとえ国内向けとしてもいただけない。
外交とは国益と国益とが互いにぶつかり合う場である。国民の間の親しい感情や首脳間の友好的関係はそれなりに意味を持つだろうが、それで国家間の最終的関係が決められるものではない。今日の主権国家では、国益の追求は国家の国民に対する責任でもある。国民も国家に対して義務を負っている以上、国家に国益の追求を求める権利がある。特に軍事同盟という国家が最大の危険を担う関係では、同盟国(米国)が自国に重大な損失を被っても同盟の責任を取ってくれるかどうか、基本的疑問は絶えずあるのだ。だから、同盟国が同盟の責任を負ってくれる条件は何か、その追求が大切だ。そんな同盟でも、より大きな危険を避けるために必要なのだ。昔から弱小国は自国のために強大な同盟国がどれだけ機能してくれるかが国益の最大の課題だったといえる。そういう関係なのにハート・トゥ・ハートと言っているようでは真に頼りない。
(つづく)
虎ノ門戦略研究所理事長 関 肇
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