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■■■平和主義と画家■■■
−−−日本を追い出された藤田嗣冶−−−
平成18年4月19日

 藤田嗣治(レオナール・フジタ)の展覧会が開催されている。藤田は、第一次大戦前に渡仏し、エコール・ド・パリの画家としてモヂリアニ、ピカソ、スーティンらと共に、国際的名声を博した。第二次大戦前に帰国し国内で活躍したが、戦争画を描いたことが敗戦後になって喧しく非難され、国内では画家として否定された。今になっても技法・芸術性などは称賛されながら、戦争画を描いたことへの疑問、もしくは非難がなされている。日本画の大家、横山大観も戦時中戦争画を描いたことで一時大いに糾弾された。今でも同じ非難がある。
 藤田が次のような趣旨のことを言ったという。「(大東亜戦争という)国難に際して国民の一人一人が其々の立場で懸命に戦っている時に、自分達画家が自分達の立場で戦わないことはない」と。これが全てを表すものだ。当時の国民の率直な考えだったろう。軍による動員もあった。しかし、戦争に協力した芸術家が心の中で反戦だったとは思えない。戦後180度転向したが、日本では全員が戦争協力者だったと言えよう。

 フランスがナチスドイツに占領された時の知識人のレジスタンスは戦後有名となり、それを賛美する日本の文化人は多かった。この話は実態とは違うところもあるようだが、レジスタンスはドイツのナチに対するものだから、日本に無かったのは当たり前だ。
 しかし、戦争反対が文化人の態度であるべきだとの雰囲気が戦後強くあったことは事実である。戦争中の日本には獄中にあった共産党員以外に、反戦の文化人など居なかった。それが戦後一部文化人の共産党に対するコンプレックとなったとの意見もある。体制に反対したのは東条体制の違憲を主張した一部右翼だけだ。戦争反対が正義だとの発想が芸術の世界に今でも色濃く残っているのだろう。
 藤田にせよ大観にせよ、偉大な芸術家が反戦でなかったことを問題とすること自体、本当におかしいと思う。反戦(或いは反軍部、反日)でなければ人でなく、まして偉大な人は全て反戦の筈だという発想は、人というものを知らないドグマである。日本が戦争に勝っていれば、別の解釈になっていただろう。藤田の戦争画の色彩は有名な乳白色から黒茶色に変わっている。画題が大きく変われば描き方が変わるのは才能の現れと思うが、それを画とは別のことと絡めて考えるのは芸術とは無縁の発想だ。

 藤田は、戦後戦争協力者としてさんざんに叩かれる。嫌気がさした彼は日本脱出を考えた。彼は日本では必ずしも高く評価されなかったようだが、すでに国際的大画家だ。敗戦後の日本人の海外渡航は不可能に近かったが、米軍人一フアンの協力で米国に渡り、フランスに戻る。そしてフランスに帰化した。その後カトリックに改宗してレオナール・フジタとなり、色々な活躍をした。最後には礼拝堂を作り、壁画を描いて没する。

 私は画には全くの素人である。見たい展覧会に限って、しかも、たまに見に行く程度である。そんな素人だから無責任に言うが、藤田は独自の境地を開いた最高の日本人(西欧画)画家と思う。ピカソのデッサンもものすごいと思うが、藤田のデッサンはピカソに劣らないと思う。(ちなみに、私はピカソの画は嫌いだが、大変な才能の画だから展覧会があれば見に行きたいと思う。)

 一般に左翼はスケープ・ゴートを作り、攻撃するのが得意だが、日本人にもその傾向があるのかもしれない。悪いとなると中身を深く検討することも無く、プロパガンダ的に攻撃する。これは今でもマスコミの常套手段だ。
 戦後藤田に故国を失望させ、棄てさせた人達は嫉妬心もあったのかもしれない。いずれにせよ、私は彼らを許せない。

(以上)

虎ノ門戦略研究所理事長   関 肇

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