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■■■テロと日本(その1)■■■

平成17年8月3日

1. テロとはなにか

 先の7月7日ロンドンで死者50人を越すテロが行われたが、21日再度ロンドンでテロがあった。また、エジプトの観光地で大規模なテロがあった。イラクでは毎日の如くテロがあり、パレスチナでは和平の試みに反してテロが再発している。テロの度に日本のマスコミはその国のトップや治安当局者に対する批判を一言述べるのが恒例のようになっている。これなどはかえってテロリストの狙いに嵌るものだ。また、テロは防げるかのような先入観もあるが、それは殆ど不可能だ。
 テロとは何なのか。ギャングの冷酷な殺人や大規模な暴力行為もテロと呼ばれることがある。テロは定義を明確にしないとテロとの戦いも目標が曖昧となり、対策も取締りの域を出ないことになる。テロリズムの定義は100以上あると言われ、時代とその行われた政治的背景によって使われ方が異なっている。ここでは現代のテロをどう見るべきかを考えてみよう。

 テロは犯罪ではない。それは無制限的な破壊、暴力行為をも伴う政治の一手段だ。歴史的には宗教的背景によるテロは政治的テロよりはるかに多く無慈悲だが、宗教テロも政治的権力の力関係を変えようとするのだから、その目的は政治テロと同じといえる。
 戦争は政治の一手段というがテロも同じだ。武力の行使という意味では戦争もテロも同じだが、通常テロを戦争とは言わないのは、戦争は国家と国家(準国家を含む)の目に見える武力紛争であり、更に国際法では宣戦布告されたものを戦争と呼んでいるためである。
 かつての支那事変では、大多数の日本人にとっては訳が分からないまま始まり、収束の努力を継続しながらも結局拡大していった。軍事行動は続けられたが戦争をするつもりがなく、宣戦布告がされなかったので「事変」と呼ばれた。国際法上はそれが正しい。イラクのクエート侵攻に伴う湾岸戦争も日本外務省は、戦争とは呼んでいなかった筈だ。

 ゲリラによる戦闘も通常戦争とは呼ばない。戦争もテロ、ゲリラも相手側に自らの意思を強制するものである。しかし、戦争は国家の行為であるのに対し、ゲリラ、テロの場合は国家のような国際社会上の団体がおこなうものではない。ゲリラまたはテロ団体は、団体として認知されることも目標の一つとしている。国際的に存在を認められることは政治の中間目標の一つだ。PLO等はそれに成功した例だろう。

 そもそも、統治の最小条件は地域の武力による保全と住民の安全が確保できること、そして税金の徴収が可能なことだ。地域の支配が諸外国の承認を得れば、国際的に国家として認められる。ゲリラやテロは政治目的を持っていても、それだけでは統治の条件を満たすことにはならない。ゲリラやテロにより相手政府を屈服させても、統治能力を持つためには、武力が必要であり最終的には軍隊の保有が必要となろう。北ベトナムはゲリラとみなされていたが、最終的にサイゴンを陥落させた時は戦車も含む正規軍の体制を備えていた。

 ゲリラとは正規軍による戦争をする能力がない弱者が行う組織的武力闘争と定義できる。民間人の服装などして戦うこともあるから、戦士は軍人としての国際法上の保護は受けない。しかし、ゲリラは戦闘部隊としての行動をとり、その意味では軍隊に近い。また、一時的にせよ地域の支配や住民の管理を行おうとする。ゲリラは部隊としての行動だから部隊としての存続と戦いをする条件が必要だ。安全な基地と組織的、継続的な補給が求められ、その為に地域の確保と外部の支援が必要とされる。

 一方、テロは部隊としておおっぴらに活動することはないし、地域の支配や住民の管理を行ったりはしない。ゲリラよりも更に弱者の戦法といえる。テロは支配者や国民に恐怖を与え、統治者に統治を諦めさせることが目的だ。ゲリラと同じく政治的にアピールし、多くの注目をあびることも目的の一つであって、効果を広く知らしめ、その存在と力を誇示する政治の一手段だ。弱者の戦法といっても、その効果は決して少なくない。

 テロにはグループや指導者はいるが大衆の中に潜み、武力行動は個人または数人で行う。最近のテロは国際化し、外国に基地があったり、その支援を受けたりしている。ゲリラに近い要素を持つようにもなった。テロ行動は大衆の中に隠れてするのだから、個人の意思、能力が高くなければならない。指導者はいるが、それは部隊の指揮官のような立場ではない。参加者個人の意思と能力の高さの順はテロが最も高く、ゲリラ、正規軍の戦争の順となるだろう。テロはゲリラの場合よりも更に個別の小グループの連合体であることが多く、必ずしもピラミッド型の組織ではないから中央のコントロールが難しいとも言える。

 政治の手段として国際法的にはテロ、ゲリラおよび戦争はそれぞれ区別されているが、政治目的達成にはテロが大きな成果を上げた場合が多い。ブッシュ米大統領は、02年9月11日のニューヨーク同時多発テロに対して「戦争だ」と言った。国際法的には正しくないが、国際法が現実に先んじるものではなく、国際社会の実態からすればむしろそう言うのが正しいのではないか。テロは政治闘争としては戦争と同じと認識すべきであって、主体が国家ではないだけだ。
 なお、戦争は手段としてゲリラやテロ的な手段も使うし、ゲリラもテロを行う。最近の特殊部隊はゲリラやテロ的な手段を目的として作られ、作戦上大きな役割を果たすようになっている。

 テロという言葉は、残虐な暴力行為を広く指して使われるため、独裁国家において指導者が自国民を大量に弾圧するための手段を指す場合にも多く使われる。ナチのドイツ、ファシストのイタリア、スターリンのソ連、アルゼンチン、チリ、ペルー等の南米諸国やギリシャの軍事政権の行った暴力や脅迫もテロと言われる。2千万〜3千万人が死亡したといわれる共産中国の文化大革命や、百万〜2百万人が死んだといわれる天安門事件等はその意味ではテロだ。また、共産主義革命の途上共産軍が支配下に置いた市街や村等で、共産主義者は富農やブルジョワに暴力による徹底的な弾圧と排除を行い、これを解放と呼んだが、これもやられる方はテロと呼んだ。
 しかし本文では、支配者が恐怖による支配を狙った暴力行為は、弱者のテロとは性格が異なるので対象としない。

(次号につづく)

虎ノ門戦略研究所理事長   関 肇

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