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■■■中国に迎合する政治家の心はどこにあるのか (2)■■■
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平成17年6月24日
2 反日国とどう付き合うか
(1) 中国、韓国の理不尽な要求に妥協すべきでないと言うと、ではどうしたらよいのか、と答えが返ってくる。その裏には両国の要求に対して、話し合いと妥協をしつつ、なんとか意見の一致を見なけれならないという日本人特有のメンタリティーがあるように思う。このようなメンタリティーは日本人に限られるものだろう。
例えば、ユダヤ教、キリスト教、マホメット教の人たちは、米国などで(中東でも)平和共存している場合は多いが、だからといって、彼らは信仰やそれに伴う生活上の掟、習慣について妥協するだろうか。話し合いさえしないだろう。彼らは他の人々が自分達の宗教に改宗すればよいと思っているが、止むを得ず共存して生活しているにすぎない。お互いに話し合って妥協して解決するという発想は基本的にない。違っていれば違っているでよいのだ。
一方、日本人は聖徳太子の十七条の憲法を持ち出すまでもなく、「和をもって尊し」とし、一人で決めるのではなく話あって決めようとする。固有の宗教、神道は多神教なので、新しいも神その一神として受け入れる。
話し合い、全員一致で妥協し、弱者に対して殲滅、圧倒するのではなく、仲良く共存していくというのだ。「負けるが勝ち」とか、「三方一両損」とかは、共存が前提の価値観だ。
一神教でなくとも、歴史的に、征服、被征服が繰り返された社会では、共存が前提の発想はあり得ない。中国や朝鮮半島の人々は黄色人種で、日本人と顔つきなど似ているし、一神教でないことも同じだが、「和をもって尊し」とする感覚はない。中国儒教の「和をもって尊し」というのは、春秋時代に、ともかく平和でなければ話にならいということであって、問題解決を話し合いでなそうというのとは意味が違っている。
中国は専制君主の絶対的支配であって、勝てば暴君となり負ければ奴隷にるのに違和感を感じない、進んでそうするという感覚だ。だから、相手が妥協すると思えばあくまでも押してくる。朝鮮半島は、「恨」の国で、日本に対しては「反日」「克日」「勝日」が大衆の骨の髄まで染み込んでいるので、日本人と妥協などあり得ない。儒教精神を共有していると思うのは間違いだ。
中、韓という極端な反日国との交渉は、民族の感覚の違いを前提に考えるべきだが、日本の政治家はこれをよく理解しているのだろうか。日本の政治家は、国内の感覚しか持たず、国際関係も国内感覚で考える人が多いのではなかろうか。そして外務省はその観点から中、朝、韓に対して有効な国際交渉が出来ているようには思えない。靖国や歴史認識の問題で、こちらが一歩退けば、相手もこちらの腹を理解して一歩引くというのは基本的認識の間違いだ。
(2) 次に日本人は隣国との関係は基本的に友好的でなければならないというのが考えいるようだ。これも日本人特有の感覚だろう。冷戦後も世界では300回以上の武力紛争が行われたが、その多くは隣国の間で民族、宗教、領土等の問題による武力紛争である。それは過去の歴史的上、侵略、征服、反乱などの争いの結果が今日の姿で、現状が安定しているのではない。もともと世界史は、民族の興隆と敗退の歴史であり、近年では植民地支配の結果もあって、国境を挟んで問題がない国は少ない。隣国とは仲が悪いのが世界の実情といっていいだろう。アジアを見ても、インドとパキスタン、インドと中国、中国とベトナム、ベトナムとカンボジア等、現代史の中で軍事紛争が続いている。現時点では和解が進んでいても、隣国との間には基本的に緊張関係があるのが普通の姿だ。
国家間は友好的、協力的となっても、個人の感情として憎しみは容易には消えない。統合が進められるヨーロッパでも、西独の外交官の家のパーティーでオランダの外交官夫妻から「我々はドイツ人が嫌いなのだ」と聞かされ驚いたことがある。世界はそんなものなのだ。
世界史上、侵略、征服、併合、植民地化は無数にあるといってよい。日本の場合もその一つだ。過去は過去であり、どうしようもない。将来をどう建設するかは別の問題で、歴史認識を一致させ、過去を償い、それによって現状を修正するなどあり得ない。国家の行動で、過去の過去を反省するなど意味がない。将来をどうするかは別のことだ。
「遠交近攻」という言葉もあるが、日本も国際関係として、近隣諸国との間には緊張関係があるのは当然と考えるべきではないか。その緊張関係の感覚が無いのは、戦後の現代が町人国家と言われる所以だ。江戸時代、近隣の藩とは友好と同時に緊張の関係があって、いざとなれば戦いがあるのが前提だった。武士はその感覚を以って統治をしていただろうが、武士の統治の下、農、工、商は平和だけでよかったのだろう。現代は、平和を重んじる(それ自体は望ましいが)あまり、世界の実情に目をつぶり、米国の安全保障の下に、危険があること無視し、あるいは見過ごして来た。侵略は近隣諸国からなされるのが普通である。緊張関係があることを前提として考えるべきだ。
(次号につづく)
虎ノ門戦略研究所理事長 関 肇
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