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1 中国四川省の大震災に派遣された国際緊急援助隊は、救助チーム、医療チーム共に帰国した。
余震が続く厳しい状況の下で、不眠不休の活動をされた隊員には、心から御苦労様と申し上げたい。
しかしこの派遣で、両チーム共に、チームの目的と受け入れ先の必要とが合致していたのだろうか。
救助チームは、都市型災害で生き残った人を探すための炭酸ガスの検知機や
ファイバー・スコープ、電磁波人命探知装置等の先端装備を装備し、救助犬も連れて行ったという。
しかし、地震発生は5月12日で、出発は15日だ。生き残っている人はいるにしても、生き残りの限度とされる72時間を過ぎていた。救助チームの派遣で、何が最も必要とさているかの判断は、中央にあったのだろうか。
救助活動が始められたのは16日だが、成都空港に到着後14時間も無駄に過ごしたという。
しかも、中国側が最初に援助隊を案内した青川県関荘地区の現場は、土砂崩れで建物が最大80メートルも埋まっていた。都市型災害用の援助隊の活動に適したところではなく、場所を変えなければならなかった。しかも道路が破壊され、また渋滞で到着に手間取った。活動開始時は地震発生後
1000時間経っていたという。青川県では2遺体、次の北川県では、15遺体が収容された。
一方、医療チームは、救出現場での治療を目的とした装備を持って行った。しかし中国側の要請は病院での治療だった。患者が多過ぎ、医師不足だからのようだ。それなりの成果を上げたが、医療チームが目的とした治療場所とは異なっていた。
2 救助チームも医療チームも、それぞれ使命感を持ったエキスパートで構成されている。
しかしテレビで見る現場の必要は、ちょっと違うのではないかと思わせるものだった。
想定外の事態に対し外務省国際緊急援助室は、「中国側と情報の共有はしたつもりだが、地方で活動する場合、災害救助活動に詳しくない人が救援を受け入れることもある。混乱もある」と話した
と報道されている。
災害発生地域に災害に詳しい人が多数いることなどはあり得ない。また、災害が大きければ大きい程、混乱も大きい筈だ。派遣隊は救助や医療という一定の目的のために編成されているのだから、派遣隊に派遣先の混乱に対応させるのは間違っている。本部において、どこで、どのような必要があるかを出来るだけ詳細に判断し、派遣隊を派遣すべきだろう。
国際緊急援助隊は外務省の所管だ。現地で何が必要かの情報収集、現地との折衝は外務省が行うものだろう。しかし報道では、すべて援助隊に任せ、外務本省は何もやっていないようにみえた。
援助隊の受け入れは中国中央政府が決定する。しかし、現地での受け入れについて、今日の中国では、中央と地方が密接な連絡を取るようになっているとは思えない。報道では、受け入れた地方では、どうして良いか戸惑っているようにも見えた。
他方、日本の医療チームが帰国する時、ドイツの医療チームが到着したと報道された。
ドイツは、百ベットを備えた簡易病院として機能するチームを派遣したということだった。地域の必要を見届けての派遣のようにみえる。
災害で何が必要かは、災害の規模、場所、発生後の時間等で異なるものだ。四川省大地震のような場合は、何が必要か、時間の経過にもよるが、小規模災害とは、優先順位が違うだろう。
その判断なしに、援助隊が法律上あるから、ただ派遣するというのでは、派遣しただけになってしまうのではないか。
戦場や災害時の医療では、トリア―ジということが言われる。それは、治療に優先順位をつけ、治る見込みの薄い重症患者は、後回しにするという非常なものだ。災害全般に対する判断でも、何が必要かには、同じ判断が必要だろう。
その為には、情報の入手が必要だ。それがなされているのか。それを本省が行わず、援助隊に
すべて任せるというのは、大東亜戦争における日本の大本営の過ちを思い出させる。
大本営は、米軍の状況を判断せず、日本が用意出来る部隊で目的が達成できると一方的な判断をして、敗北を積み重ねた。
例えば日本が手痛い敗北を始めて喫したガダルカナルは、陸軍は、海軍に引きずられて、攻勢の終末点を越えたところで戦ったのだが、ガダルカナルがどんな所かさえ知らなかった。
今回の地震では、現地の状況は、地図を基に衛星等から集められる情報で、かなりの判断は可能ではなかったか。それが行われたのか。
ダルカナルでは、参謀本部は、米軍の規模、装備等も知らず、更に戦闘が引き続く間も米軍の増強について知ろうとしていない。派遣した部隊の集結も不十分なまま、結果的に戦力の逐次投入という誤りを犯しながら、一方的な攻撃を続け、敗北に敗北を重ねた。しかもその認識さえ十分ではなく、現場の状況を知った幕僚の報告も弱気としりぞけた。
現地の状況を知ろうとせず、手持ちの部隊だけを派遣するという感覚は似ているのではないかと思うと、何かぞっとする。更に、四川大地震では、ともかく早急に派遣したいという政治的判断があったのかもしれない。そうとすれば、成果を焦るあまり、現地の判断を無視するという、これも当時と同じ
感覚ではないか。
我々は敗戦に学んでいるのだろうか。
以上
虎ノ門戦略研究所 理事長 関 肇
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